東奥日報に「道内から移住のブロガー」として記事が掲載されました

東奥日報2016年11月7日付朝刊紙面より

東奥日報2016年11月7日付朝刊紙面より


青森県全域を網羅する地方紙「東奥日報」のWeb連動企画「青森LOVERS」にて、11月7日の朝刊にわたしを取材していただいた記事が掲載されました。

WEB版はこちら↓からご覧になれます。

書くのに比べて、喋るのはあまり得意ではないのですが、右に左にそれがちな話しをしっかりまとめていただいています。さすが。

今年の7月から始まったWEB東奥が運営する「リアル青森」に投稿する青森LOVERSの1人として、これまでの経歴やWEBとの出会いなどをご紹介いただいています。

わたしが投稿した記事は、こちらです。

これからも、当ブログとリアル青森とで、津軽のおもしろい場所、ツボにはまったイベントなどをおすそわけしていきます。
今後ともよろしくお願いします。

あ、この記事中の写真の場所は、現在プレオープン中のワークスペース・シフトで撮影していただいたものです。
うち(自宅)ではないですよー!


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投稿者名 斎藤美佳子 投稿日時 2016年11月07日 | Permalink

青森県が作成したパンフレット「なるほど地元就職」を見て感じるモヤモヤを言語化してみた


青森県庁が就職を考える高校生、大学生向けに作成したパンフレット「なるほど地元就職」が話題になっています。

これが、青森県で暮らす人たちの実感とかけ離れていると、まぁ批判を浴びているわけです。

「羽鳥慎一モーニングショー」でも、8月16日に取り上げられたようで、県外のフォロワーさんからの教えてもらって知りました。

わたしも取り上げているニュースなどを見れば、
「ええぇ!? これはありえん!! じゃあ、うちが青森県移住前と移住後で収支がどれだけ変わったか公表してやんよ!」
と一瞬思いましたが、自分だけの家計ではないのでそれは置いておいて。

実際にパンフレットを県庁のサイトよりダウンロードして読んでみると、青森県がどうとか東京がどうとか以前のところでモヤモヤしたものを感じました。


投稿者名 斎藤美佳子 投稿日時 2016年08月19日 | Permalink

一番長く過ごした街を歩いてきました

北海盆踊り会場の大通公園テレビ塔前

北海盆踊り会場の大通公園テレビ塔前


お盆休みは、北海道の実家に帰省しています。

本家のお参りと親族バーベキュー大会が終わったら、翌日は札幌市へ。

父が札幌勤務をしていた14歳~19歳と、結婚してからの27歳~38歳まで。
他に地方出張の仕事で1年ほど。
なんだかんだで41年間の人生のうち、17年くらいの月日を過ごしたのが札幌です。

深川市で7年、日高の富川町で7年、東京で6年、弘前でもうすぐ4年。これで合計41歳。
つまり、人生で一番長く過ごした街が札幌です。

街を歩いていると、入れ替わった店舗や、変わった建物もあるけれど、まだまだ駅前から大通近辺くらいは、迷子になることなく地上と地下を行き来して、目的地へたどりつける。

そうして歩いていると、そこここに、過去の自分の影が見えるんです。


あえてかつての通勤路を歩いてみる


デパートの看板が変わっていた

デパートの看板が変わっていた

札幌駅から大通へ移動するのに、あえて駅前通りや地下歩行通路ではなく、通勤に使っていた道を歩きました。

よくランチに使っていたお店、毎日のようにのぞいていたコンビニ……スーツを着て汗をかきながら通っていた道。

1時間のお昼休みにどこまで行けるか試していた30歳前後の頃。

産後復職したら、時短勤務で30分休憩になり、手弁当で別ビルの休憩室に通っていた35歳の頃。
まだ母乳を続けていたから、乳房がはってはって、でもお腹はすいてすいて、そのアンバランスさを嘆いていたっけ。

大通公園を歩くと、デパートの看板が変わっていて、でも自分はほとんど利用していなかったので、しばらく前の店舗を思い出せないでいました。
…丸井の何かだったっけ?
いまだに丸井今井って言ってしまうけど。

親からのおこづかいで活動していた15、16歳の頃は、よくこのベンチで友だちとずっとしゃべっていたなぁ。


10代からの友人と近況話し


UCCカフェにて

UCCカフェにて


フリースクール時代からの友人と久しぶりに会って、近況の話しをする。

お互いに色々と変わったけど、話し始めたら昔と同じ。
毎週のように札幌の小劇場に通い、好きな舞台の話しをしていた17、18歳の頃。

「わたしたちが41歳になるなんてねぇ」

わたしたちは、不登校という共通の体験があるので、わりと早めに「頭(理屈)でいくら頑張っても、心身がついていかない」状態を知っています。

頑張り続けても傷が深くなる時は、もう思い切って休んだ方がいい。

休めないなら、もうそのレールから下りてしまった方がいい。

「そんなことはできない」なんてことは、ない。

ほとんどのことは、生きてさえいればどうにかなる。
がんばりすぎて心身を深く病んでしまう方が、回復に時間がかかる。

まだ「不登校」という言葉が一般的でなかった時代に、義務教育の学校に行けない、という世間からみたらありえないことをしても、41歳まで生きているのだから。

学校の夏休みが終わる日に、この世からおさらばしなくてよかったよ。

「どうにかこうにか生きていって、また会おうねぇ」と別れました。

故郷ではなくホームタウン

札幌はわたしにとって勝手知ったるホームタウンです。

「故郷」と言うにはしがらみもなく、幼少時代を過ごしてはいないから郷愁もないし、実家はもうとっくに札幌ではないのだけれど。

街を歩けば、あちこちに当時の思い出があります。

ここでずっと子育てを続ける選択肢もあったけれど、もっとはっきりと「故郷に帰りたい」という思いを持っていた夫とともに青森県の弘前へ渡りました。

わたしは故郷を持たないぶん、どこへでも行けるから。

そうして、またたまに戻って来た時に、過去の自分があちこちにいて、今もつながっている友だちがいるというのも悪くないものです。

またね。元気でね。

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投稿者名 斎藤美佳子 投稿日時 2016年08月17日 | Permalink

初めましての方にさいとうのことがよくわかる12の記事をまとめました

1995年・20歳の頃、Win95のパソコンを使い始める

1995年・20歳の頃、Win95のパソコンを使い始める


この頃、自分について喋る機会が増えてきました。

最初は弘前市が移住をすすめるサイト「弘前ぐらし」のインタビュー。

90分間、これまでの人生について語った「弘前街ナカゼミ」。

そして、弘前のFMアップルウェーブ「津軽いじん館」に出演してきました。


アップルウェーブスタジオにて

アップルウェーブスタジオにて


津軽で活躍するさまざまな人をゲストに迎えて、楽しいトーク。「いじんさん」とは、偉人さん・異人さん・時の人・おもしろい人・・・。ラジオを聞いている皆さんからの推薦も大歓迎!
津軽いじん館より引用)

7月4日16:00~16:30と再放送が同日19:00~19:30、弘前近郊の方はFM78.8MHzで、それ以外の方はインターネットラジオでリアルタイムに聴くことができます。→放送終了しました。

自分の生い立ちとさいとうサポートのこと、キセカエヤについて、パーソナリティの倉田和恵さんに話しを引き出していただきました。

わたしは話すよりも書く方が言葉が出やすく、インタビューや講座などの前には、いったん関連する記事を書いて自分の中で言葉をまとめておいています。

それでも、話し終えての帰り道に、
「ああ、あれを忘れた!」
「あの言葉は誤解されるんじゃないか?」

など反省することしきり。

そこで、自己紹介のロングバージョンとして、わたしについてよくわかる記事をまとめました。
「斎藤美佳子」って何者?という方にどうぞ!


投稿者名 斎藤美佳子 投稿日時 2016年07月04日 | Permalink

弘前街ナカゼミでこれまでの人生を90分語ってきました

第9回弘前街ナカゼミにて(撮影:Ryuuichi Yoneyamaさん)

第9回弘前街ナカゼミにて(撮影:Ryuuichi Yoneyamaさん)


弘前街ナカゼミでお話ししてきました。

雨の中、弘前市外から来られた方も多く、13人の参加者の方々の前でセキララな人生トークをしてきました。
いつ見ても波瀾万丈!的な。

ブログを書くことを本気で1年がんばったら、なぜか話しを聴きたいというオファーが数件来ていて、不思議なものです。

しゃべるより書くことの方が得意なわたしですが、目の前にいる方の反応を見ながら言葉を選ぶのは、またライブの醍醐味。

…とは言え、そういった経験は少ないので、いい機会をいただきました。
声をかけていただいた県庁の方にも、集まっていただいた方にも感謝しています。
ありがとうございます。


投稿者名 斎藤美佳子 投稿日時 2016年06月18日 | Permalink