不登校で中卒女性のわたしがしてきた11の仕事と収入
「そんなに辛いなら学校に行かなくてもいいよ」
と、子どもを緊急避難的にお休みさせた親御さんも、1週間、1ヵ月、1年と経つごとに不安に思う気持ちも出てきます。
果たして、この子はこのままずっとうちにいて大丈夫なのか?
外に出て仕事はあるのか?
中卒だとまともな仕事に就けないのでは?
当事者だった自分自身、そう思っていました。
昼夜逆転してダラダラ遊んでいるようでも、内心の不安はありました。
そこで、特別な才能があったわけでもなく、小学校に行かなくなるまで無難に生きてきた自分が、それからどんな仕事をしてお金を稼いできたかを書き並べます。
参考ケースは多い方がいいですからね。
これまでの仕事とその収入
1:親の手伝い
小・中学生の頃だと、まだ外に働きに出られないので、親の家事や仕事を手伝ったりしていました。これは、まあ、おこづいかい稼ぎの範囲で、月数百円~数千円。
一週間に一回だけの新聞配達なんかもやりましたね。朝刊じゃないから、週末だけ配ればよかったので楽でした。冬はちょっと辛かったけど、そういう時は親も助けてくれてました。
2:ベルトや手袋の値札付け
フリースクールの斡旋で、ベルトや手袋などの商品に値札を付けたり箱詰めしたりするアルバイトに行きました。
仕事は平日3~4時間くらい。行ける日を予約して、何人かの子どもたちがその会社へ行って、かぎ針やプラスチックのタグを付ける機械で、1つ1つ値札を付けていました。
周りのパートのおばさまたちに比べて、全然スピードが足りなかったし、おしゃべりしながらだったので、よく会社の方々が受け入れてくれたと今になって思います。
当時は最低賃金が500円台でほとんどその時給だったから、月1万くらいになっていたかどうか。
でも、外で働くステップとして良い機会になりました。
3:ショッピングセンターのレストランでホールスタッフ
18歳の頃、札幌駅付近に新しくできたショッピングセンターで、ホールスタッフのアルバイトをしました。
オープニングスタッフの募集告知を見て、1993年当時の札幌では時給750円と好待遇、シフトも自由が効きそうだったのと先輩がいないのはいいなと思い応募しました。
説明会で「化粧は華美にならないように」という注意を聞きながら、
「女は化粧をしなくてはならないものなのか?」と聞くに聞けなかった18歳。
ピザやパスタなどの食べ物とビールジョッキを運んだり、オーダーを取ったり、席を片付けたりの仕事です。
ただ、オープンした時の見込みより施設自体の集客が低く、数ヶ月後にはみんなシフトをガンガン減らされていました。わたしも月5日しか働けない日があったり。
拘束されても働けないのでは意味がないので半年で辞めました。
仕事が終わってから同僚とカラオケに行ったり、まあ、普通に働いていましたね。
ばらつきがあるけど、多い時期は月7~8万くらいもらっていたかと。
4:喫茶店のウェイトレス
某大企業のビルに入っていた小さな喫茶店にも3ヵ月くらい勤めました。
ほとんど社員食堂のようなノリで、12時台は日替わり定食で忙しかったです。
後は会議室まで20個のコーヒーを運んだり。
ママさんがとてもヒステリックに怒鳴る人で、いっしょに入った20代のアルバイトが次々と辞めていきました。
わたしも頑張ったけど、一番仲良くしてくれた人が辞める時に、もう1対1であのママさんと働くのは無理だと思い辞めました。
時給600円で月6万くらいの稼ぎでした。
5:劇団員
これは自己紹介にも書いているので省略。20歳~28歳まで、主に演劇のスタッフとして仕事をしていました。小道具、音響、制作、広報編集、WEBサイト作成、事務など、俳優以外は色々やりました。
常勤の時は手取りで月10~12万くらいいただいていました。
東京で10万円の収入は貧困と言われても仕方ないのですが、劇団員の寮やルームシェア、食事も当番制、公演中は現金かお弁当支給など「みんなで清貧」な仕組みができていたので、それほど困窮してはいませんでした。50~60代で家庭を持った先輩方も同じような収入でしたからね。
6:マネキン
劇団の公演が無い時は自活しなければならない時期もありました。
そんな時に行ったのは、1日からできる登録制マネキンの仕事。
スーパーで試食を配って商品をPRしたり、試供品を配ったりする仕事です。
1日7000円だけど、研修とか勤務後のレポート提出&制服返却だとかで、勤務日とは別に2回も小金井から山手線沿いの会社まで行かなくてはいけなかったので、何回かやって終わりました。
7:データ入力
劇団の先輩が事業を興し、そこで単発のアルバイトをする時期もありました。
データ入力が主で、タッチタイピングと校正のスキルが磨かれました。
時給が思い出せないのですが700円~800円の間だったかと。
短期なので、月2~5万くらいをいただいていました。
8:レストランのキッチンスタッフ
やはり劇団の仕事が無い時のつなぎだけど、こちらは普通にパート勤め。
ピザ・パスタのチェーン店でキッチンスタッフをしました。
時給800円で月10万くらい。
ボスみたいなママさんに嫌われて、ほとんど仕事をさせてもらえなくなったり、周りの人間関係も悪かったので、数ヶ月で辞めました。
どうも、フード産業と自分は合わない、ということをようやく知りました。
その後、しばらく劇団の仕事で生活をし、北海道事務所勤務をきっかけに北海道へ戻って結婚しました。北海道事務所休止後、劇団の専従からおりて北海道と東京を行き来する二足のわらじ生活に。
9:コールセンターのオペレーター
札幌で当時400~600人勤めていたコールセンターでフルタイムパート勤務。
初めての会社勤め、スーツ着用です。規則も細かかったです。
旅公演があるので短期アルバイトに応募したら、その後も戻って来て良いよと言われて長期勤務になりました。産育休もとって足かけ9年3ヵ月勤めました。
時給900円~で、フルタイム時は手取り月14~18万くらい。育児中は社保無しで月5~8万くらいでした。
自分にはオフィスワークの方が向いている、特に受信やデータ管理系が得意ということに気づきました。
正社員じゃないのになぜか新人研修をしたり、クライアントに提出するレポートを作ったり、クレームの二次対応をしたりしていました。
夫のUターン転職に伴い退職。子どもと3人で津軽移住します。
10:小規模会社の事務員
ハローワークが斡旋する求人セット型職業訓練で訪問マッサージの会社に入りました。
PC操作・電話応対などは既に習得していたので、医療保険や訪問マッサージに関わる事務処理についてを身につけました。
主な仕事はデータ入力、それに電話対応や書類作成、後にマッサージ師さんの送迎で運転手も兼ねたり、支店の数字管理もするようになりました。
正社員で就職した筈が、初めての給料日前に「利益が上がるまで減給させてほしい」と白紙の同意書を渡されたので、それは断って扶養範囲内で働くパートに降りました。
時給700~800円で週30時間未満、月6~8万くらいでした。
あまりに色々なことがありすぎて、不安を感じて退職しました。
11:さいとうサポート開業
そして、さらに色々なことがあったあげく、2014年11月にさいとうサポートとして開業し、事務代行や訪問PCサポートなどを行っています。
関連記事>あの混乱の夏から1年、わたしが開業した理由をお話しします
売上は月15万~30万強ぐらいの間をウロウロ。
ここから年金や健康保険、税金も払っているので、手取りは下がります。
もう少し多様な方法で収入を上げて安定させていきたいところです。
まとめて振り返って
だいたい、経験してきた仕事はこれくらいですね。
色々な職場を経験した中で、自分の得意・不得意がわかってきました。
【得意なこと】
○人の話しを聞いて要点をまとめる
○資料作成
〇文章を書く
○データ入力、パソコン操作
○電話応対
○粘り強い
○情報収集と編集しての提供
【苦手なこと】
×スピード勝負
×料理や掃除など家事系
×気遣いする、空気を読む
×営業
×人にかわいがられる
×懐に飛び込む
時給以上に成果を出せると上への要望は通しやすくなるので、仕事のパフォーマンスは大事です。
コールセンター勤務時は正社員よりパフォーマンスが良い部分もあったので、旅公演に出る時の長期休暇も産育休も取れました。
自分に何が向いているかは、やってみないとわかりません。
3ヵ月やってみて、どうしても苦痛しか感じられないなら、別の場所へ行った方がお互いのためにもなります。
フード関係は3回も上手くいかずに、もう自分には働ける場所は無いのではないか?というぐらい落ち込みましたが、パソコンを使った仕事はすんなりなじめました。
不登校していた頃に弟とひたすらゲームをやっていたおかげで、デジタルに強くなったようです。
関連記事>元不登校児の17歳と14歳の姉弟が書いた「独断と偏見による!楽しい昼夜逆転の仕方」(再掲)
今は外に出なくても仕事を始められます
わたしが10代だった頃と違って、今はインターネットで収入を得られる仕組みがたくさんあります。
まだ社会経験が少なくても、クラウドワークスで文章を書く仕事を請けたり、ココナラでイラスト作成や占いなどでプチ稼ぎもできます。
ただ、在宅ワークで稼げると甘い言葉で登録料をとったり、高額商品(セミナー)を売る業者もいるので、そこは気をつけて。仕事を取るためにお金を払うことが必要なわけありません。
ハンドメイドが好きならminneに出品したり、BASEでネットショップを持つこともできます。
どちらも初期登録費用・月会費無料で始められます。
家の中の不要品をヤフオク!で売ることも、収入の第一歩になります。リサイクルショップや古書店で価値あるものを安く仕入れて売る「せどり」で生計を立てている人たちもいるくらいです。(要Yahoo!プレミアム加入)
すぐに、それだけで食べていける収入にはならないでしょうが、オンライン越しであっても人と関わり対価を得る経験値を積むことができます。
そこで評価が上がれば、まとまった額を得ることもできます。
学校に行けなくても、せっかく就職した会社に行けなくても、すぐに詰むことはありません。
今は大手企業に長期勤めていても、学校や役所関係など公的機関に勤めていても、定年退職まで身分が保証されている時代ではありません。
どうなっても、自分1人は食べさせていくことができる力を得るには、若いうちから試行錯誤をして自分を知る方がいいです。
わたしも、こうして事務代行とPCサポートをしつつ、ライティング、ブログ、ハンドメイドなど、色々な方法で少しずつ人からの対価をいただきながら暮らしています。
不登校で親には心配をかけましたが、結局は大学に行かずに20歳で手離れして以来どうにか自活し続けています。
人生、いつからでも、なんとかなりますって。
元気が出てくるまで、まずは休んで、気持ちが外に向いてきたら情報収集を始めましょう。
それでは、わたしも月末の保険請求まとめをがんばります。