君は前田光世(コンデ・コマ)を知っているか? 弘前市で映画化に向けて動いている人たちが熱かった。

(写真左から坂本崇さん、松村龍一さん、川嶋大史さん)

(写真左から坂本崇さん、松村龍一さん、川嶋大史さん)

雪降る2月1日(日)、弘前市のスペース・デネガで開催された「目指せ!映画化!!前田光世 〜コンデ・コマと呼ばれた男〜」トークショーに行ってきました!

弘前市出身の柔術家・前田光世(まえだ みつよ)、別名「コンデ・コマ」の生涯を映画化したい!と願う人たちによる熱いイベント。

プロレス好きに刺さる内容だったので、ちょっとその様子をシェアします。

「前田光世 / コンデ・コマって何者??」の人へ


弘前公園の前田光世先生顕彰碑

弘前公園の前田光世先生顕彰碑

弘前に住んでいても「コンデ・コマ」または「前田光世」を知らない人もいるかもしれません。 一方でわたしのように、弘前に住む前からその名前を知っている人もいるでしょう。

'90年代から世界中で巻き起こった総合格闘技ブーム、その中で一躍脚光を浴びたグレイシー柔術。

「何でもあり」ルールのバーリ・トゥードの中で、次々とプロレスラーなど大物食いをしていったホイス、ヒクソンらグレイシー一家は、まるでマンガのキャラクターのように鮮烈でした。

中でも最強のヒクソン・グレイシーが高田延彦、船木誠勝を倒していったことは、日本のプロレスファン、格闘技ファンにとって大きな衝撃でした。

当時、東京に住んでいて、週刊プロレスを買い、たまに後楽園ホールなどへ観戦に行くわたしも、遠距離恋愛していた彼(現夫)と文通や電話で盛り上がっていました。

その最強のグレイシー柔術のベースを作ったのが、実は日本から移住した『コンデ・コマ』という男だったという背景もまたマンガ的。
そしてその男の本名こそが前田光世、なんと弘前市の出身なのです。

弘前公園の追手門近く、テニスコートの横には彼の顕彰碑があります。

わたしは何かと立ち寄ったり、プロレス好きな人が弘前に来たら必ず案内しています。

みっちりした「前田光世物語」が無料配布されています

昨年12月、弘前公園に散歩に出かけたところ、弘前市立観光館で「前田光世物語」というパンフレットが配布されていました。

観光館にあるパンフレットと言えば、市の見どころとかグルメとかを写真や絵を交えて解説されているものが多いのですが、このパンフレットはとにかく文字が多い!
A4版8ページの冊子に前田光世の生涯がびっちりと書かれています。

レイアウトに工夫を凝らしてはあるのですが、なにしろ詰め込んでいる情報量が多い!


前田光世物語

前田光世物語

わたしや夫のようにプロレス格闘技好きはたいへん楽しく読み込みつつ、
「これはニッチ過ぎる! どこが出してるんだ!?」
と裏を見たら「発行:弘前フィルムコミッション」の文字。
ええええぇぇ!?」ってなりました。

▼パンフレットはPDFにてダウンロードもできます。
前田光世物語 ~コンデ・コマと呼ばれた男~

「やれんのか!」の気持ちでトークショーに参加



2/1のスペース・デネガ

2/1のスペース・デネガ

その後2026年になってから、市のホームページで2月1日にトークショーが開催されることを知りました。

予定が入っていないことを確認してさっそく申し込み。残念ながら夫は勤務日だったので、一人でスペース・デネガへ。

なお、今年の弘前市は昨年に続いての大雪で、1月30日には1月の積雪量として過去最高の127cm。
2月1日は130cmでした。
用事が無ければ出かけたくない雪道ですが、熱い「目指せ映画化!!」の文字に誘われて。

なにしろ、「弘前フィルム・コミッション」が中心とのことですが、このパンフレットによると前田光世が弘前にいたのは高校生の途中まで。

その後は東京に出て、さらに海外に出て行って、異種格闘技戦を繰り広げ、最後はブラジルに骨を埋めます。

そのまま映画化したら、時代物の上に海外を転戦した軌跡を撮影することになりますし、弘前市が出るのは最初の方だけです。
大河ドラマで言えば子役・少年時代までです。

「やれんのか!」と心に猪木の言葉を秘めていました。

大雪だけど満席の客席でした


どんどん人が集ってくる!

どんどん人が集ってくる!

午後1時半に開場する頃は、ロビーにはわたし含めても数人くらいでした。

まぁ、この大雪だし、こんなニッチな話題だもんね。そんなに広告とか大々的にPRしてる感じでもなかったし。

と思って会場に入ってしばらくしたら、いつの間にか60席が満席になっていました。どこから集ってきたの!?

見れば知っているお顔もちらほら。

弘前で古武術を継承する活動をしている方々が見えたのが胸熱でした。

第一部は講演「くらえ!必殺!YAMATO DAMASHII ~前田光世の格闘ロード~」


坂本崇さんによる前田光世の生涯を語る講演

坂本崇さんによる前田光世の生涯を語る講演

さて、第一部は坂本崇さんによる前田光世の生涯を語る講演「くらえ!必殺!YAMATO DAMASHII ~前田光世の格闘ロード~」です。

あの文字みっちりのパンフレットの内容を、著者・坂本崇さんの軽妙なトークで語っていきます。

わたしはあらかじめ内容を読んでいましたが、客席に配られてもいたので、ここで初めて知った方もいることでしょう。

文字で読んでいても、弘前のディープな魅力を伝える路地裏探偵団長・坂本さんの語りが入ると、とてもイメージが広がります。語りって大事。

この件まで知らなかったのですが、坂本さんは弘前出身のプロレスラー船木誠勝選手の弘前後援会事務局長もやってらしたそうです。
どうも、青森での動きがヒクソンvs船木戦の東京ドームに絡んでいたっぽい?

あの決戦の日、東京ドーム周辺でプロレス友達と散歩していて、ドームに様子を見に行ったら試合決着後にものすごい勢いでダッシュで出てきた人の波にさらわれそうになったなぁ……なんてことも思い出しました。


東京ドームのヒクソンvs船木戦についても

東京ドームのヒクソンvs船木戦についても

第二部は元プロレス少年たちによる三つ巴のトークショー!


第二部のトークショー

第二部のトークショー

さて、5分の休憩を挟んで第二部トークショーです。

第一部に引き続き登場の坂本崇さんが進行役のコーディネーター、ゲストは「いとみち」「奇跡のリンゴ」など弘前に縁が深い作品を手がけてきた映画プロデューサー・松村龍一さん、元格闘技雑誌ライターで青森にUターン後は元パンクラス青森後援会代表幹事の経歴がある川嶋大史さんです。


松村龍一さん

松村龍一さん

川嶋大史さん

川嶋大史さん


プロレスラーの入場曲とともに3人が登壇の時点からもう明らかですが、3人ともプロレス大好き。

川嶋さんは週刊プロレスで記者もしていたそうなので、それはもう「業界の人」です。

ブラジル移住していた猪木のバックボーン、異種格闘技戦として有名なモハメド・アリ戦、UWFの系譜、総合格闘技ブームなどなど、話題がどんどんプロレスファントークになっていきます。

「前田光世はいわゆる『ブック破り』だった」
「強すぎて対戦相手がいなくなり、金銭に困ることからコマル→コマ→コンデ(伯爵)・コマというリングネームになった」
「異種格闘技戦はルール決めが大事」

週プロ毎週買ってたわたしはわかるけれど、お客さん大丈夫かな。


映画化の方法について

後半の時間で実際この前田光世物語を映画化するとしたら?の話題にも入っていきます。

1878年(明治11年)から1941年(昭和16年)の63年間の生涯、弘前から始まり、東京、北米、中南米、ヨーロッパと世界を股にかけて連戦し、最後はアマゾンの開拓・移住に尽力して病魔に斃れる。
それはもう、撮影も大変なボリュームになります。

しかし、日本人と見たら迫害をされる時代に、誇りを持って身一つで戦い続け、道を切り開き、歴史に影響を与えた前田光世のことを、なんとしても映像で残したい。

映画館での上映だけではなく、今の時代は配信という手段もある。

初代高橋竹山を描いた「津軽のカマリ」のようなドキュメンタリー手法もある。

そんな話題も出ながら、「予算を考えずにキャスティングするとしたら前田光世役は誰?」など夢膨らむ話しもありました。

「今日このキックオフに集った皆さんは神60です!」
と巻き込み力を発揮するプロデューサー松村さん。

最後の会場からの質問や感想の場面では、前田光世が弘前で教わったという本覚克己流(ほんがくこっきりゅう)を継承する方も現れ、さすがの弘前でした。

わたしも何かお役に立てることがあれば!

ということで、大変熱気のある会でした。

キックオフに参加した「神60」と言われたからには、今後の活動も応援しているというよりは何か力になりたいですね。

北海道生まれでプロレスファン、弘前生まれのプロレスファンである夫と出会い、後にブラジルのアリアンサ移住地に1ヶ月ほどステイした経験があり、ブラジル移住史のWeb発信に携わっていた身として、どうも縁に呼ばれたとしか思えません。

↓23歳の頃に書いたブラジル滞在レポート
ユバ農場訪問記--遙かなるヤマの子どもたち

何か力になれることがあるといいな、そんな思いで久々にこのブログに記事を書きました。

今後の展開に乞うご注目!