歴史と生活が混ざり合う弘前市仲町・伝建地区を散歩してみた
弘前の行きそで行かないとこへ行こう(with夫)第2弾です。
前回の記事>紺屋・川﨑染工場で天然藍染め体験してみた
藍染め体験後、そのまま足をのばして仲町地区の伝統的建築物群保存地区を散歩してきました。
北海道で言えば「北海道開拓の村」、東京で言えば「江戸東京たてもの園」でしょうか。
しかし、そこは、普通に現代に暮らす住民が混在する不思議な空間だったのです。
弘前市仲町伝統的建築物群保存地区とは
弘前は、慶長8年(西暦1603年)に津軽藩初代藩主為信(ためのぶ)が計画し、2代の信枚によって同16年に築かれた城下町です。
城郭は、4代信政にに変更されるまで城の追手門(表門)は北門(亀甲門)とされ、正面を北に構えていたと伝えられています。
保存地区は、この追手の守護のため、藩重臣の子弟を配置した数ヶ町の侍町の一区画にあたり、江戸時代を通じて重要な役割をはたしてきたところです。
江戸時代の主屋もさることながら、その前面に坪庭を持つ屋敷の地割が良く残り、昔ながらの門や板塀、サワラ生垣などが伝統的な街並みを形成しているところから、貴重な歴史的文化遺産として、昭和53年、国の「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けています。
(弘前市仲町伝統的建築物群保存地区のパンフレットより引用)
ほうほう、今は追手門は弘前城の南側ですが、江戸時代の途中までは北門が追手門、つまり正門だったのですね。
「弘前市仲町伝統的建築物群保存地区」という名称は長いので、通称は「伝建(でんけん)地区」というそうです。
住所としては、若党(わかどう)町、小人(こびと)町、馬喰(ばくろ)町のあたりです。
武士の付き人や、藩の雑用係、馬の鑑定や治療をする人が住んでいた地区だそうです。
特徴としては、サワラの生け垣や黒板塀があり、門から玄関などへ飛び石があったり、観賞用の庭があること。
「都会から殿様が来た時に、『なんぼここはジャイゴ(津軽弁で田舎)だじゃー!』と、このあたりの住居は黒板塀や白い漆喰の壁に統一させたんだよ」という夫の説明。
いや、それ既になまってるよ?
伝建地区になったので、今もここに家を建てようとすると色々申請したり、認可を受けたりしないといけないようです。京都みたいですね。
黒板塀が続く道を歩いていると、
「♪粋な黒塀 見越しの松に♪」と「おとみさん〜TOMMY〜」(byミスゴブリン)が脳内をかけめぐっていました。
これが、粋な黒塀なのねぇ。
旧笹森家住宅は定休でした…
残念ながら最初に着いた「旧笹森家住宅」は定休日でした。
7月~10月は月・木曜日が旧笹森家と旧岩田家が定休だそうです。
逆に、火・金曜日は旧伊東家住宅と旧梅田家住宅が定休です。
と言うことは、水曜日に行けば全部1度に見られるのかしらん。
さくら祭り、ねぷた祭り期間は臨時開館の上、開館時間も1時間拡大されています。書き入れ時はがんばるってことですね。
これは歴史的建造物、と撮影してたら民家でした
お、茅葺き屋根が見える。これは歴史的建造物!
とカメラを構えて写真を撮っていたら、普通に表札がかかっていました。
しかも、プラスチックのゴミバケツも脇に置いてあります。
どうやら、ここは普通に暮らしている民家だったようです。ごめんなさい。
という風に、このへんの地区はどれが展示で、どれが民家か見分けがつかないくらいでした。
このあたりのお家は、きっと観光客が知らずに入ってきて写真を撮ったり、見物されたりすることがありそう。
北海道の方、イメージしてみてください。
開拓の歴史村の中に、普通に暮らしている人がいる風景。
東京の方は、江戸たてもの園でどうぞ。
旧伊東家住宅
こちらが一般公開展示されている住宅。
この伊東家は藩政時代に藩医を務めたお医者さんの住宅。
約200年前に元長町に建てられた建物を、昭和に弘前市が譲り受けてここに移築したそうです。
現在、元長町には伊東内科・小児科クリニックがありますが、その流れなのでしょうね。
囲炉裏の側に薬草をすりつぶすのに使った道具が置いてありました。
旧梅田家住宅
こちらは約160年前の建物。江戸時代末期、嘉永年間に建てられた武士の住宅で、在府町から移築して一般公開しています。
旧伊東家の裏にあるので、2軒はセットのように見られます。
ここの屋根は茅葺き屋根です。そのため、12月~3月の冬期は閉館しています。
係員のおじさんの話しでは、もうすぐ(9月から?)茅葺きのふき直しが始まるそうです。
数十年に1度しか見られない光景だそうなので、弘前城移築工事と合わせて見るとよさそうです。
石場家住宅(石場酒店)は現役です
最後に石場家住宅へ。
重要文化財ですが、現役の酒店であり住宅です。
弘前が舞台のマンガ「ふらいんぐうぃっち」にも友人・石渡なおの家として出てきます。
お店の入口を開けると、小上がりに犬が寝ていました。
店には日本酒がずらりと並んでいます。
この奥の展示スペースは入場料100円。
お店の奥さんに200円を払って中に入ります。
この座敷の手前には、
「これより先は当家の居室につき立ち入りをご遠慮願います(PRIVATE AREA -KEEP OUT-)」
と書かれた札がありました。
確かに生活感あります。
特に台所。
なんだか、写真撮ってごめんなさい、という気分です。
そうかと思えば、家内安全と商売繁盛を祈願するおまじないの馬沓(マグツ)が、天井からつるされています。
200年以上の歴史がある建物と、その中で今も続いている商いと暮らし。
この仲町伝建地区の歴史と現在が混ざっている不思議な雰囲気をよく感じられます。
弘前は歴史と現在が地続きの街
ここに限らず、弘前は普通に車が通っている道路に、えらい歴史ある建物がポツンと混ざっていたりします。
わたしが生まれ育った北海道は都市の歴史は明治以降になってから。
日本史も近代まで慣れた地名が出てこないので、世界史と似たような距離感です。
もちろん、北海道にも日本史好きな人はいますけど、例えばローマの歴史が好きな日本人と同じようなものかと。
だから、この歴史と地続きな感じは道産子にとって新鮮なのです。
仲町伝建地区は、今、電線電柱を地下に埋める為の工事をしています。
夫は仕事でよく通るのですが、元々が狭い通りなのに工事をしているから、さらに進みにくいそうです。
一般公開されている歴史建築物に隣接しているお宅が、芝刈りの音がうるさいと抗議の立て札を出しているのも目にしました。
大空襲や大きな自然災害にあわずに江戸からの歴史がほとんどそのまま残っている街。
それは、観光として売り出せるところでもあり、今の暮らしの中での不便さもあるところ。
これから、どんどん新しい世代に替わっていく中でどう折り合いをつけて、
「外から来て良し、中に住んで良し」の街にしていくのか、わたしたちにもちょっとかかっている課題ですね。
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