津軽移住したばかりで不安でさまよっていた日、「弘前はいい街だよ」って言われました

大迫力のねぷた

大迫力のねぷた


2012年秋に、北海道札幌市から青森県弘前市におよそ387kmの距離を引っ越してきました斎藤です。
お隣の県だけど387km!津軽移住3年目の道産子が感じる北海道と青森の違いまとめ(※随時更新)

「移住」と言えば、ブラジル移住、満州移住などの歴史的な海外移住や、
まだ東京で消耗してるの?」のイケダハヤト氏、ごく近くではりんご飴マンが思い浮かびます。
いずれも、それまで全然縁がなかった地域に移住した人たちです。
わたしの場合、夫のUターンに伴っての転居なわけですが、「移住」と大げさに聞こえる言葉を使うのは理由があります。

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ずっと同じ場所に住んだことがありません

わたしは道産子ですが、父親が転勤族だったので、道内を数年おきに転居しながら育ちました。
公宅で、周りも転勤族の子ばかりだったので、引っ越してから数年後に戻ると、よく遊んだ近所の子はいなくなっています。

20歳で東京の劇団に入りました。
東京に住民票と先輩と同居のアパートがあっても、旅公演で毎日移動しながら生活していたり、地方制作事務所に半年~1年くらい住み込んで仕事をしたりと、半分くらいは東京にいませんでした。
つまり、定住した経験が無い。
一番長く暮らしたのは、夫と結婚する時に借りた札幌のアパートで、弘前に引っ越すまで11年でした。
だから、わたしには「出身の街」とか、「故郷」という時にすぐ出てくる地名がありません。
あえて言うなら「北海道」くらいです。

夫は津軽人だった


対して夫は、生まれてから高校卒業までずっと弘前市。
しかも、小さい頃から持ち家に住んでいて、今も実家は同じ場所にあります。
小学生の頃からの友だちも近所にいます。
自分の部屋の窓からは岩木山がいつも見えていたそうです。
学生時代は北海道、その後、東京で暮らしたこともありましたが、
常に「ここは自分のホームじゃない」異邦人感があったとか。
「自分のことはあまり日本人と意識したことはなくて、津軽人だと思っている」
と言っていて、それほど土地に対して執着がない自分にはわからない感覚でしたね。

だから、息子が生まれてからは、
「岩木山を見せながら子育てをしたい」
と、いつかは帰郷したいと語っていました。
ちょっとニュアンスが違うかな。
「岩木山や桜を見ながら育った自分の原風景と、同じ風景を見せたい」
みたいなことでした。

ここに来るって決めたのは自分自身

2人でばたばたと仕事しながら子育てをしているうちに、あっという間に1年、2年と経ちました。
夫が40歳になる頃、本当にこのままでいいのか問いかけ、いや、問い詰めました。
「これ以上、年いってからだと再就職もずっと難しくなるよ、いいの?」
話し合った末、夫は介護資格をランクアップさせて、会社を辞めて、地元の弘前市で就職活動を始めました。
そして、面接一社目で即日採用が決まり、わたしと息子は半月後に移住してきました。

当時の日記>就職→退職→お引っ越し。: Alternative Note

弘前へ行くのは自分で決めたこと。
だから、「移住」と意思が見える言葉を使っています。

来てはみたものの、最初は暗中模索でした

(今まで夫はわたしの人生に振り回されて寄り添ってくれていたのだから、今度は自分が彼の人生に寄り添う番)
なんて、かわいらしく思っていましたが!
実際に引っ越してくると、しばらくはズンドコ落ち込みました。

予想以上にアパートが小さくて荷物が収まる目処が立たなかったり、
転職1年目の夫の収入が札幌の高卒初任給並みなことがわかったり、
自分の劇団とコールセンターという職歴を活かせるような求人は全然無かったり、
3歳直前の息子はべったりとひっついてくるので、片付けが進まなかったり、
夫の親族と友人以外知っている人がいなくて日中は大人と会話できなかったり、
まぁ、色々とあったわけです。

移住する前に、
まずは3年やってみて、それで幸せになれなさそうだったら、また北海道に帰ろう。
と決めていたのですが、全然3年もつ気がしなかったですね、正直。

ミスドで隣の席に座ったおば様に励まされた

雪がちらつく頃、息子と2人で自作の地図を手に街をさまよい歩いたある日。
整理収納を学んでまず1つ手放したもの

行き先も決まらず、結局、駅ビルのミスタードーナッツに入っておやつにしました。
すると、隣の席で1人でお茶をしていた60代くらいのおば様が
「かわいいねぇ、いくつ?」
と声をかけてこられました。

実際、弘前に来てから、子連れで歩いていて年配の方から声をかけられる率がすごく上がりました。札幌ではここまでじゃなかった。

おしゃべりするうちに、札幌から引っ越してきて間もないことを話すと、うなずいて、
「それはいいね。弘前はいい街だよ」
と言われました。
すごく不安な頃だったので、じーんとしましたね。

おば様は息子にドーナッツをごちそうしてくれて、わたしには産直野菜の安いお店を教えてくれて、自転車でさっそうと帰っていきました。
かっこいい。

もし、自分だったら引っ越してきたばかりの人に対して、自分の住む街をほめられただろうか。

実際、弘前はいい街です

前にも弘前市の魅力について書きました。
弘前ってどんな街? 移住2年半の道産子が紹介します

ここに書きもれていたけど、中心部はコンパクトで徒歩か自転車でかなりの用が足ります。
あの時のおば様も、本格的に路面が凍る時期以外は自転車で買い物などしていたそうです。

弘前に来てから、市内のイベントに出かけることが多くなりました。
さくら祭り、ねぷた祭り、花火大会(明日です)、りんごハロウィン、菊と紅葉祭り…。

札幌は人口190万人、周囲のベッドタウンを含めると200万人は余裕で超える大都市なので、市の大がかりなイベントにはそれはそれは人が集まって、行くだけでも大変。
人混み苦手なので、あまり出ていきませんでした。

よさこいソーランも、札幌でやっている時は道が混んで移動が大変だし、音は大きすぎてやかましいし、コンテスト至上主義みたいな風潮も嫌で、積極的に観に行ったりはしませんでした。
でも、ここへ来てよさこいソーランやっているチームの演舞を見るとうれしいし、弘前の土手町で開かれる「よさこい津軽」も子ども連れて観に行っています。
よさこい津軽

好きなものは好きと言って行動しているうちに、友だちも増えて、今では地元のアクティブな友人は夫よりも多くなっています。


いち姫リカちゃん

いち姫リカちゃん

明後日、21日(日)は、ヒロロで開催されるSamsara2015に、「キセカエヤ」として出店。
お隣の田んぼアートで有名な田舎館村のヒロイン「いち姫」に扮したリカちゃんを展示もしますよ。
Samsara(サンサーラ)2015、今年もキセカエヤ出店します! - キセカエヤ

昨秋から自分で仕事も始めたし、どうやら移住3年後のジャッジでは、北海道に戻ることはなさそうです。
来年、息子は弘前市内の小学校に入ります。

もちろん、北海道に帰省すれば、あのさっぱりとした空気も、好きなお店や、長いつきあいの友だちと遊んだりすることも楽しみです。道産子だもの。

まぁ、1カ所に定住する感覚が薄いので、「ここに骨を埋める!」ってほどの決意ではありませんが。
今しばらくはどうぞよろしく。
そして、最近引っ越して来られた方や、移住しようか迷っている方へ。
「弘前はいい街ですよ」

今日、移住者限定交流会に参加します。
弘前移住の先輩の話、これから移住してくる人の話、楽しみにしています。


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