青森県弘前市で「故郷」をつくっています
弘前に移住してきてから、本当によく出かけるようになったと我ながら思います。
もちろん、札幌にいた頃も何かとイベントを見つけては子どもを抱いて出かけたりしていたのですが、弘前に来てからの方が密度が濃い。
子どもが好きそうなイベントも、そうではなさそうなイベントも、とにかく連れて行ってみています。
こうしているうちに、息子の中に故郷ができていくのかな、と期待を抱いて。
転勤族で1つの町に10年いなかったわたしにはない故郷。
18年弘前で生まれ育った夫が、その後20年以上かかってようやく戻ってきた故郷。
「弘前で子育てをしたい」という夫の思いは、こういう風景を共有したいということだったのかなぁ、と満開の桜を毎日見ながら感じています。
弘前の四季は濃い
春には手に届くほどの低さまで、桜の花がこんもりと咲き。
夏は短くも蒸し暑く、ねぷた祭りの狂騒に沸いて。
秋にはりんごがざらんざらんとたわわにみのり。
冬は湿り気のある雪に降りこめられる。
そして、いつでもどこからでも「山」の字そのものの岩木山が見える。
お岩木さんに見られている。
弘前に戻りたいという夫の中には、桜やねぷた、岩木山など、自分を育んだ風景と同じ風景を息子にもベースに持っていて欲しいという思いがあったようです。
高校を出てから、北海道の大学に入り、新卒でUターンしようとしたけれど叶わず北海道で就職し、何度か転職の機にUターンしようとしたけれどやはり実らず…。
弘前で仕事に就くために、それまでのキャリアとまったく別の方向にハンドルを切って、介護ヘルパーの資格を取り、札幌の介護福祉会社で9年の実務経験を積み、介護福祉士を取り、3度目のUターンチャレンジに成功しました。
18歳で弘前を出て、帰ってきたのは40歳。
何とも気が長く、回り道をしながらのUターンでした。すでに「U」じゃない。
特定の故郷がないわたし
わたしは「北海道出身」だけど、数年おきに引っ越しをしていたので、子どもの頃から大人になるまでずっと知られているご近所さんがいません。
周りも同じ公宅住まいの子どもたちだったので、一番いっしょに遊んだ友だちも数年おきに移動してしまい、もうどこにいるやら…。
14歳~19歳と、いったん東京へ出てからまた北海道へ戻ってきた27歳~38歳まで過ごした札幌市が一番長く住んでいて、そこには10代の頃からの友だちも、行き慣れたお店もあります。
言わばホームタウン。
でも、故郷(ふるさと)かと言われれば首をかしげます。
今の実家には半年しか住んでいないし、とっくに弟の部屋になっています。
ここも帰省はするけれど、「故郷」ではありません。
北海道の大地は問答無用で「故郷」で、駅や空港を降り立って空気を吸った瞬間に、「帰ってきた」気持ちになります。
不思議な言葉ですね、故郷。
景色とのつながりと人とのつながり
GW中に夫は弘前の友人たちとお食事(という名の飲み会)に行きました。長期休暇に帰省してくる顔ぶれも交えて、もう四半世紀以上のお付き合い。(弘前に移住する前は、夫も帰省メンバーでした)
中には小学生の頃からのお友だちもいます。
そうやって、高校時代からの思い出を共有している友人たちがいるのも故郷なのでしょう。
息子にも、そういうハナタレの頃からの友だちができていくといいな。
息子が大人になった時に、どこにいるかはわかりません。
ずっと弘前にいるかどうか……もしかして国外に行くかもしれませんね。
どこへ行ったとしても、子どもの頃に見ていた景色や、空気の肌ざわり、そこでつながった人との思い出を持って行って欲しい。
特定の「故郷のまち」を持たないわたしは、逆に言えば「どこへ行ってもやっていける」という変な自信があります。
だから、夫のUターンも後押しすることができました。
そして、来てみたら弘前はめちゃくちゃ面白い! なんだこの濃い街は!?
子どもが「故郷には何も無い」と感じているとしたら、それは周りの大人がそう思っている影響です。
見渡せば、こんなにもたくさんの面白いことをしている人がいる。
さて、そろそろ桜も散ったし、りんごの花を愛でに行きますか。
息子はりんご公園のお兄さんと花摘み(りんごの花の間引き)を手伝う約束をしたとかで、小雨ですが張り切っています。
1つ1つの体験が、胸の中に積もっていって息子の故郷になりますように。
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