震災後7年目の石巻市を家族で訪れた時のこと
今から約1年前、子どもの春休み中に家族で青森から福島・宮城へ家族旅行をしました。
メインの目的は福島県小野町のリカちゃんキャッスルでしたが、その帰りに東日本大震災の被災地を訪ねるプランでした。
青森県から福島県まで往復1,084kmの家族旅行! 3日間のつぶやきまとめます | さいとうサポート
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北東北の青森県から南東北の福島県まで、宮城にも寄りながらの2泊3日の旅行中のつぶやきをまとめました。
仙台市の科学館に行ってからだし、子連れ旅行なのでそれほど長時間はとれません。
太平洋沿岸部、どこの地域にも特に知人がいなかったわたしたちが向かったのは、宮城県石巻市。
はたして、観光のように被災地を訪れてもいいのだろうか、とちょっと迷いながらの訪問でした。
石巻市役所から見えるリアル
石巻市へ行くのも初めてなわたしたち、ふらっとやってきた観光客が訪ねられるような場所があるのかどうか…?
まずは市役所で情報収集をすることにしました。
こちらが石巻市役所です!
仮面ライダーの原作者である石ノ森章太郎氏の石ノ森萬画館もある石巻市、市役所の前には仮面ライダーの像が立っています。
向かいにある石巻駅にはサイボーグ009のモチーフもありました。
そして、このピンクの建物。地方によくあるショッピングセンターの色に似ていませんか。
実は石巻市の市役所は、東日本大震災の1年ほど前からこのさくら野百貨店だった建物に移転していたそうです。
2017年3月に訪れた時は1階部分は商業施設でした。
この1階部分も津波が浸水してきたそうです。だいぶ海岸から離れているのに…。
エスタは5月末で閉店してしまったそうで、今は他の事業者が入るのも困難な状況のようです。
観光課には様々なパンフレットがあり、職員の方が相談にものってくれました。
羽生結弦くんも訪れたという「がんばろう!石巻」の看板が立つ地に、モニュメントなどがあることを教えてもらい、そこに行くことにしました。
同じフロアには「生活再建支援課」があります。
「住宅再建補助金」「危険住宅移転補助金」「住宅再建にむけた工務店紹介」、ここに写っていませんが「二重住宅ローンの相談」というポスターもありました。
特別に飾り立てられていないだけに、震災で失われた暮らしを想像させられます。
そうか、もし新築の住宅ローンを払っている途中に津波で家が流され、移転・再建しようとするとそのローンは……。
そんなことを感じながら市役所を後にします。
それはともかく、ここの立体駐車場、とっても狭い!
市役所だから当然車は多く来るのですが、大型車が止まっている場所だと通路に少しはみ出ていて、車2台すれ違うのが困難です。
弘前も土手町の古い立体駐車場がけっこう難易度高いのですが、それ以上でした。
「がんばろう!石巻」看板が立つ南浜地区へ
地図とスマホナビを頼りに「がんばろう!石巻」看板を目指しました。
しかし、なかなかに迷いました。
なにしろ、道が工事中で、ナビにも地図にも最新の道が載っていません。
だだっ広い景色の中を、他の車に着いて行きながら右往左往して、ようやく着きました。
この看板は2代目とのことです。
初代は震災直後に違う場所に建てられましたが、そこも移転することになり、中学生たちと新たに作られました。
この地区は商店街や住宅地がありましたが、津波で大きな被害を受けてから、今は住宅が建てられないエリアになっているそうです。
2年後には復興祈念公園になるとのこと。
ぐるりと見渡しても、ここが町だったという実感がわきません。
がんばろう!石巻モニュメントにて。
— さいとうみかこ(うらべっち) (@urabetti) 2017年3月28日
ここ、商店街だったって…… pic.twitter.com/jsbt0ONq2Z
まだ公園になる姿が想像がつかない光景ですが、看板の近くではど根性ひまわりなどの花が育てられています。
被災した石巻の木材を集めて点けた種火をランタンに灯し続けていました。
この「がんばろう!石巻」看板や、献花台、モニュメントなどについては、ホームページで情報発信もされてます。
少し離れたところに大きな集合住宅が建っているのが見えました。
集合住宅の上に、何か標識のようなものが掲げられています。
写真を拡大してみると、防災デザイン研究会のサイトに載っている津波からの避難場所を示す「津波避難ビル」のピクトグラムのようです。
Googleマップでは2011年7月の光景が見られます
2011年頃はまだ地方のストリートビューが少なく、東日本大震災前の光景はありません。
しかし、2011年7月、震災から4カ月後のストリートビューが公開されています。
下に埋め込みしたストリートビューは、この頑張ろう!石巻看板が立っているあたりです。
これを見ると、まだがれきや一部損壊した住宅があり、生々しいですね。
実際に訪ねてみてよかったこと
この通り、わたしたちは特に誰かにガイドをしていただいたわけでもなく、ただ市役所と看板が立つ地に行っただけです。
それでも、やはり行ってよかった。
あそこに立ってあたりを見渡した時、本当に根こそぎ持っていかれた跡地であることを感じました。
そして、市役所を訪れる人の姿に、それでもここで暮らしていこうとしている姿を見ました。
なんともなかったはずの日常が、ある日突然に失われたこと。
そこから生き残った人たちが、また今も暮らし続けていること。
テレビや新聞では見ていても、自分の目や耳、皮膚で感じるのは大違いです。
7歳の息子にはまだわからないかもしれません。
東日本大震災当時は1歳で、札幌で病児シッターさんに守られながらスヤスヤと寝ていました。
過去のブログ> 2011.03.11 その日は。: Alternative Note
青森県でも弘前市は日本海に近い内陸で、数日間の停電はあったものの、直接の地震による被害は少ない地域でした。
同じ青森県でも太平洋沿岸部とは違いますし、東北支援と言われても岩手・宮城・福島とはかなり違います。
でも、きっと将来「石巻に行ったことがある」という記憶が、何かにつながることがあるんじゃないかと思っています。
2018年3月11日の黙とう
この記事を書いている2018年3月11日、震災から7年が経った石巻では、追悼セレモニーが行われていました。
【動画】3・11ドキュメント
— NHKニュース (@nhk_news) 2018年3月11日
午後2時46分(宮城 石巻)https://t.co/OnNLPREOvW pic.twitter.com/ulcEfql0nw
被災地を訪ねる行先が石巻だったのはたまたまでしたが、また訪れたいし、他の沿岸部地域のことも目を背けずに足を運んでいきたいですね。