母性が無くても大丈夫でした。意外と母ちゃんやってます

札幌在住時の散歩道

札幌在住時の散歩道


子どもが欲しくて欲しくて、という人にはまったく共感されない、それどころか傷つけて怒らせてしまうかもしれない話し。

わたしは若い頃から、
「子ども産むなんて無理。育てるなんてもっと無理」
って思っていました。

それが、40歳の今、5歳の男の子の母をやっています。
たぶん、20代の自分に言っても一番信じられないことです。
劇団の仕事で食べて行くことを辞めたこと、
夫と「結婚」したこと、
東京から北海道に戻って、さらに弘前に移住したこと。
それらの環境の変化よりも、もっとずっと「自分にはないこと」だと思っていました子育てする未来。

そんな母性が無いから子育ては無理だと思っている人への長文です。



だって、生まれてくる子がかわいそうって思ってた

経済的な理由とか、仕事が続けられるかとか、保育園がどうとか、そういうことはまったく考えていませんでした。

とにかく、「この時代に」「この国に」「この自分の元に」生まれてくるなんて、子どもがかわいそうって思っていました。

だから、自分に関して言えば、どんなに子育て支援政策を充実させたとしても、子どもを産みたいという気持ちにはならなかったと思います。

夫とは長いつきあいだったし、周りからも結婚して子どもを産むことをすすめられたりもしましたが、 「いや、無理無理。お金無いし、痛いの嫌だし
と、うそぶいて逃げてました。

逆に、「早く子ども欲しいー!」と言っている友人を見ると、なんて自信があるんだろうとうらやましくなるくらいでした。

「子孫を残したくないなんて、生物としておかしいよ」
とも言われました。
「そうですね。たぶん、生物として、自分はとっくにおかしい」
と思ったけど、口に出したかどうか。

たぶん、母性が無いのだろうし、赤子のように意のままにならない生き物といっしょにいたら、きっと追い詰められて育児ノイローゼになって虐待までしてしまう。
と、本気で思っていました。

幸い、仲の良い友人や、わたしたちの両親は理解がありましたので、子どもを産まないことで責められるようなことはありませんでした。

それでも、コウノトリはやってきた

それでも、夫とつきあいだして14年目、結婚して8年目に妊娠しました。
どれだけ気をつけていたとしても、自然の摂理を100%コントロールなどできないものです。

市販の妊娠判定キットに浮かぶマークを見て、ヘナヘナと膝が崩れてしまいました。

次の日、産婦人科にかかり、妊娠が確定しました。
5週目でした。エコーを撮ると2mmに満たない丸型の卵が写っていました。
「産むかどうか考えます」
と言うと、医師がけげんな顔をしました。
そりゃあ、妊娠時34歳、しっかり結婚もしていたのですから。

1日考えて産むことにした

受精卵はいつから人の命なのか、常に流れ出ていく卵子や精子と、どこから違うのだろうか?
なんてことも考えました。

夫と話し合い、1日考えて、やはり、産むことにしました。

これはもう観念するしかない。
この命は、わたしがどうこう悩もうとここに生まれるんだ、と言っている。
どちらにしても後悔するなら、耐えられる方を選ぼう。
後で、「あの時、人(になる可能性)を殺したのだ」という罪の意識に耐えられる気がしませんでした。

夫は、わたしの気持ちを知っているので、産まないことを選んでもいいという前提で、
「このところ、ずっと同じ日々の繰り返しでこれからもずっと続いていくと思っていたから、違う風景を見たい気もある」
と言いました。

それで、この命を産み出して、最低でも20年、子育ての責任を持つことにしました。

妊婦の音響オペレーター


公演後にいただいた花束

公演後にいただいた花束

劇団の先輩に連絡し、既に決まっていた旅公演をどうするかを相談しました。
先輩は、とにかくみんなでフォローするから、いっしょにやろうと言ってくれました。

妊娠4~5ヵ月の時期、札幌から東京へ飛行機で渡り、音響効果のスタッフとして5箇所の公演につきました。

当時、まだ豚インフルエンザと呼ばれていた新型インフルエンザが上陸したばかり。
人が集まる客席の中でオペレーションをすることに不安もありましたが、もし、これでダメになるならそういう運命だし、このお腹の中の命は意地でも生まれようとする強さがあると信じました。

周りの方の強力なフォローもあり、公演は無事に終わりました。
なにしろ、音響スタッフなのに、鉄の塊のスピーカーやアンプどころか、軽いMDデッキさえ持たせてくれなかった。

北海道に帰る前に、舞台に立っていた先輩から花束をいただきました。
「これで辞めるわけじゃなくても、しばらくは舞台の仕事はできないだろうから、区切りだと思って。人ひとり生み育てるって大事な仕事だからね」と。

当時はまだ、すぐ数年後に戻る気でいたけれど、子どもが5歳になる今、まだ1週間以上も家を空ける仕事ができません。
あの時にお花をいただいておいてよかったです。

色々あったけど無事に生まれました

その後、妊娠9ヵ月までコールセンターの仕事も続け、色々もめたけれど産育休に入り、色々あったけど8回目の結婚記念日に息子が生まれました。


親子の指

親子3人の指


この頭からかかとまで50cmもない子どもの、小指の爪までしっかりあることに感動しました。

期待値が高くないのがよかったかも

それからの赤ちゃんのお世話は、そりゃあもう大変で。

産後3ヵ月くらいは、周りに「育児楽しんでる?」と聞かれても、
「いや、育児っていうよりまだ生き物係。楽しむ余裕なんてないない」と思ってました。

だけど、わたしの場合、育児が大変とか自分が煮詰まるとかは想定内のことでした。
元々自分に母性なんてないと思ってたし、赤ちゃんとラブラブな日々なんて夢見ていなかったし、キーっとなって放り出したくなるのも予想してました。

なので、冬のお産にも関わらず、1ヵ月経って札幌に帰ったらせっせと外出してました。
マタニティ教室で出会った同月出産のママ友宅へ行って、赤ちゃんを転がしながら新米ママあるあるトークをしたり。
抱っこ紐で赤ちゃんを抱えて、書店やコンビニで立ち読みしたり。 少しでも趣味の本を見たり、人形を着せ替えたり、ゲームをしたり。 もうダメだー! となりそうな時は、実家に帰ったり、来てもらったり。 子育て支援センターや、市の子育てイベントに行ったり。

そして、4ヵ月の頃、保育園が決まり、コールセンターの仕事にも復帰しました。
電車通勤中は自分の時間もでき、辛いことがあっても仕事は達成感もありましたし、家計もマイナスからトントンになりました。

もちろん、赤ちゃんを育てながらの仕事、それに家事もという生活は、綱渡りのジェットコースターに乗るような日々で。 家の中が酷いことになって、整理収納の専門家を呼ぶ事態にもなりました。

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あれ、意外と母親やってる?


走る5歳の息子

走る5歳の息子

なんだかんだで、5歳になった息子は元気に育っています。
ありがたいことに、息子はわたしの子にしてはいい子で、相性も良いみたいです。

今までのところ、感情にまかせて折檻したり、食事を食べさせなかったり、放置して出かけるような虐待と言われるようなことをすることもなく、母親やってます。

2人でフルタイム勤務していても全然貯金できていなかったけど、収入が低くなった子育て期の方が家計管理をして少しずつ貯金をするようになりました。

まだ全然ダメ親ですけどね。

料理は手抜きだし、掃除は適当だし、仕事や趣味に集中して寂しい思いをさせることもあるし、早寝早起きさせてないし。

「もう無理-! やっぱ無理ー!」 と叫びたい時もあるし、
(こんな母で本当にゴメン) と心の中で謝ることもあります。

それでも、妊娠前の自分が見たら、自分にはできないと思っていたことがやれています。

あの時出産を後押しした作品たち

こんな自分が母親なんてやっていいんだろうか?と悩んだ時に助けになった本が何冊かあります。

赤ちゃんが来た

かなり昔に読んだ本。マンガ家・石坂啓のイラスト付きエッセイ。
妊娠を知ってからこれはもう産む運命だと受け入れるまでのくだりを、妊娠した途端に思い出しました。

育児なし日記vs育児され日記

ベネッセの育児雑誌に連載されていたコミックエッセイ。
夫婦2人でワーカーホリック気味に暮らしていたところへ降ってわいた妊娠・出産。
ドタバタする育児ぶりと、後半の赤ちゃん目線から見たマンガの対比がおもしろかったです。
友人が出産した時に差し上げたので、もう手元にはありません。

きのう何食べた?

これはもう出産してから読んだマンガ。
ゲイの中年カップルの淡々とした日常とおいしそうな料理を描く作品です。
脇役の8年つきあった人とできちゃった結婚を決意した女性が、
「産まない理由にはなっていたけど、おろす理由にはならなかった」と語る台詞に我が意を得たり。

母性とか女性性とか無いと思っていても何とかなる

子どもを産んでから特に、「母親」としての役割とか、「女性」としての生き方とか考えることがあり、そういう言葉に敏感になりました。

母乳育児も布おむつもしたし、スリングや背負い紐も使ったし、離乳食は手づくりだし、ついでに布ナプキンは妊娠前から使っています。
でも、それはその方が自分にとって効率的で心地よくて、好きだから選んだこと。

いまだに、自分に母性とか女性性とか、あまり感じていません。

でも、思ったよりは、こんなんですが、母ちゃんやってます。

周りのおかげもありますね。
育児ノイローゼ・虐待になる気配を踏みとどまらせた周りの人たちについては、またいずれ。

そんなわけで、子どもを産むことが怖いと思っていた過去の自分に向けての呼びかけでした。
大丈夫。けっこう、なんとかなる。

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