それでも、ゆるすことにした話し
前回アップしたホ・オポノポノはキャラじゃなかった話しが、けっこう反響があったので、その後日談を。
この写真は産休入り2日前に契約打ち切りを言い渡された翌々日、入園申し込みをしようとしていた保育園まで歩きながら撮影したものです。
青空で、とても紅葉が鮮やかな日曜日でした。
自分などたいした力は無かったのだと落胆していました
風景はとても美しかったけれど、わたしは「働けない人を雇用する意味がありませんから」と言われた直後で、悔しさでいっぱいでした。
ずっとあれだけ残業や休日出勤もして、クレームの二次対応もして、妊娠中も残業したりしていたのに。
マニュアルを作って新人の研修をしたり、クライアントとの電話連絡も任されていて、パートナー契約ながらも、並の正社員よりよっぽど貢献してきた自信があったのに。
だからこそ、前例は無くても、わたしだから認められていたと思っていたのに。
違った。
大きい組織の中では、全員に当てはまるルールの方が大事で、特別扱いということはなかった。
初めて会った人事担当者が、わたしの勤務年数さえも知らずに、一方的にルールだからと雇い止めを言ってきたのは、1万歩譲ってまだわかります。
でも、その時に隣にいた現場の上司は、どうしてこのことをわかっていて、半年近くも顔を合わせながら何も言わなかったのか。
何度も状況を確認したわたしに答えてくれなかったのか。
その上で、妊婦に残業まで頼んでいたのか。
その後、産育休は認められ、約半年後に違う部署に復帰することになったものの、彼への恨みは消えませんでした。
わたしは、元上司に対して、
「どれほど自分が最低でダメな奴だと思っても、あの彼に比べればマシだと思うの刑」
にしました。
2年後、「もうゆるそう」と思った
0歳児を抱えながらの仕事再開は、ご多分にもれずバタバタで、何度も休んだり入院までしながら、あっという間に時が過ぎ去りました。
あの時と同じ10月下旬の晴れた日、同じ道を2歳になる前の息子と散歩している時に、ふと思ったのです。
「もう、ゆるそう。この子はこうしてここにいる」
正直に言えば、まだ辛い渦の中にいましたが、あえて「ゆるそう」と口に出すことで自分の中で区切りをつけました。
もう20年以上も追っているマンガ「PALM(パーム)」に、こんな場面がありました。
目の前で恋人を殺され、
「何年かけても お前らが忘れようとも 地獄の底まで追いかけてやる」
と憎んだジェームスが、その相手をゆるす場面です。
「…何日も続けて人を呪い続けたことがあるか? 身も心もクタクタになるぞ
どうせ俺が来る前から あんたたちは殺し合ってる
わざわざ参加するまでもないさ」
そうなんです。
人を憎み、恨み続けるのは、自分にとってもエネルギーを消耗することでした。
結局、こうして自分は仕事を続けて、子育てをしていて、この子は1人でどこまでもかけていく。
だから、ゆるすことにしました。
住む場所も仕事も変わった今となっては、あの時の彼のことは「かわいそうになぁ」と思うぐらいです。
忘れるのが難しいような辛いことは、環境を丸ごと変えるのも、いい方法ですね。
そして、弘前に移住してきて、最初に勤めた会社がまたすごかったので、やはり自分の闘う魂が闘う相手を引き寄せしているのだろうか、と思ったのは、また別の話です。