若者の声が未熟だと笑う大人は、いったい何をしてきたの?

世間では連休が始まっています。
当ブログも子どもと遊ぶのにおすすめスポットの記事などをアップしたりしているのですが、この節目の時にやはり書いておきたいことがあります。
安全保障関連法のことです。

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わたしは反対です

まず、立ち位置を明らかにしておけば、わたしは19日未明に成立した安全保障関連法に反対です。

理由はごく単純に、将来、子どもたちが戦地で人を殺したり殺されたりすることに、直接でも間接でも関わって欲しくないからです。

さかのぼって言えば、PKOの時点でも反対だったし、もっとさかのぼれば自衛隊がそもそも違憲であるのに、拡大解釈などと言ってずるずるとなし崩しに軍隊の条件を備えていることにも反対です。

軍備を持ってアメリカの同盟国として戦争に参加したいのなら、そう正面から言って国民の支持得て憲法を変えて「日本軍」にしてからやれば良い。

それが難しいからと、砂場の山崩しのように周辺からやっているのが気に入らない。

ざっくり言うとそういうことです。
国防について様々な意見があることは承知しています。
ネットで議論をしても泥沼にはまるだけなので、ここは立ち位置の表明だけしておきます。

それはさておき。

若者が声を上げた時の未熟さを陰で笑う大人が恥ずかしい

今回、SHIELDsをはじめ若い世代が声を上げ、国会前や各地でデモ・集会に参加しました。

それに対して、もっと上の世代が言葉尻を捕まえ、本人の画像を晒し、笑いものにする場面を、ネット上で嫌になるほど目にしました。

  • 「デモのしすぎで留年したら首相のせいにするの?」
  • 「学生は勉強しろ」
  • 「浪人生はデモなんかやってる場合じゃないだろ」
  • 「偏差値28とかw」

漢字の間違いや行き過ぎた言葉使い、一部の行動をあげて広げていく。

個人情報を拡散している人もいましたね。

在日外国人、非国民、日本から出て行け、と言うのは一部のネジが振り切れた人たちだとしても。

ずいぶんとアレルギー反応がひどいじゃないですか。

自分が知らないこと、やらなかったことを、自分よりも若い世代が集まってしていると、それを潰したくなるのは何ですかね?

デモで歌を歌ったりしているのがフェス感覚だと言うなら、ジョン・レノンの時代にもありましたよ。

もう、今の40代以下でデモとかストとか経験してる人は少数派

わたしの母親が70年安保世代で、今60代です。母は普通にスポーツやってましたが。

80年代以降に大規模な安保闘争がおきなかったことを思うと、今の40代以下はデモでシュプレヒコールを上げた経験が無い人の方が多いのではないでしょうか。

わたしはたまたま組合活動をバリバリやるような親の元に生まれ育ったので、子どもの頃からデモとかメーデーとか参加していました。

子どものわたしにとっては一種のピクニックで、歌ったりシュプレヒコールを叫んだりしながら、交通規制された道の真ん中を歩くのは楽しかったです。

国鉄民営化、夕張炭鉱の閉山など、歴史的な場面で起きていた運動の現場に居合わせることができたのも貴重な経験でした。

後に不登校になりフリースクールに通うようになってからも、友だちやスタッフと学校の管理教育に対してとか、PKOに対してとか、イラク戦争に対してとか、デモやシンポジウムを行うことがありました。
きっと今の時代だったらTwitterやまとめサイトでさらし者にされていたんでしょうね。「デモやる前に学校へ行け」って。

でも、それはごく特殊な体験で。
社会に出てから、5月1日のメーデーを知らない同世代と話したのはけっこう衝撃でした。

知らないことは怖い

大人数が集まってプラカードを掲げたり、コールをすることが異様に見えるのは、なじみがないからではありませんか。

もっと日本でも普段から様々なテーマのデモを見かけたり、ちょっと有給取ってデモ行ってくる、と言えるような社会であればいいのに。

デモや署名活動は民主国家で声を上げる方法の1つです。
民主国家でこれだけデモやストライキが少ない国も珍しいのではないでしょうか。

ともあれ、若者のデモに対してやたら攻撃的や冷笑的な人は、何が自分の感情を刺激しているのかじっと考えてみることをおすすめします。

とにかく選挙に行かないと話しにならない

とは言え、わたしは今回何も動かなかったわけです。
デモに参加したわけでもないし、署名運動に参加したわけでもない。

でも、選挙は20歳になってから今まで20年間、ちゃんと毎回投票しています。
東京へ行ってからも、旅公演の途中でも、地方に出張している時も。
子どもが生まれてからも、引っ越しをしてからも。
不在者投票や遠隔地投票というシステムがあるので、どこにいても投票はできるのです。

20年の中には、「ああ、あの人に入れたのは失敗だった」と悔やんだこともありますが。
それでも、棄権した方が良かったとは思わない。(白票にしておけばよかったとは思う)
誤った判断は反省して次に活かせばいいのです。

今の政治を嘆き、デモに参加する学生をあざ笑い、結局何もせずに投票権を放棄する。
「誰に入れてもいっしょだから」
と諦めて斜に構えるのはすでに大人の態度ではありません。

しがらみがなく、思ったままに行動できるのは若者の特権です。
その発言が、行動が、多少感情優先であっても、未熟だったとしても、あげつらって攻撃したりするものではない。   理論が完成しなければ言葉を出せないとか、未熟であれば行動してはいけないとか、そんなことを言ってたら40になっても動けません。

できることから淡々と。

安保法案に賛成の人も反対の人も、どっちにしたら良いか決めかねている人も、まずは選挙です。
どちらの意見の人も、ただ自分と違う意見だというだけで見下したり、感情的になって中傷したりすることがありませんよう。
子どもたちが見ていますよ。

と、投票率全国最下位の青森県からの意見表明でした。


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