自分をなくして移住地に溶け込んでも意味が無い。ブラジル移住者の言葉が今も刺さる

札幌の10月

札幌の10月


ブログ塾でお世話になっているイケダハヤトさんのブログにて、当ブログの記事が紹介されました。

関連リンク>田舎の同調圧力を振り払う、簡単な方法。 : まだ東京で消耗してるの?

わたしの記事はこちらです。

弘前に移住して4年目に入ります

イケハヤさんの記事を読んでいて、思い出したことがあります。

必要なのは「勇気」だけです。案外、どんなコミュニティでも「あいつはああいうやつだから」という「諦め」は働くんですよ。人間というのは、意外と柔軟なものなのです。閉鎖的な、同調圧力が強いコミュニティであればあるほど、諦めは早いような気もします。

「移住」であれ「転職」であれ、最初の時点でキャラを打ち出しておくことは、とても大切です。初期の段階から同調圧力に飲まれて自分を曲げてしまうと、そのまま馴染んでしまいますから。

田舎の同調圧力を振り払う、簡単な方法。 : まだ東京で消耗してるの?より

これですね。

わたしは時々失敗しています。

職場でも地域でも、「新人=下っ端」として入ると後が辛い


津軽の10月、りんご畑と岩木山

津軽の10月、りんご畑と岩木山


これまでに経験してきた職場でも、何度か住処を変えた地域のコミュニティでも、小さなグループでも、そこに入った時にへりくだり過ぎると、後で大変です。

自分をまったく何もわからない下っ端として、教えてください、言うとおりにします、という姿勢ですね。
あなたの色に染まります、と。

まだ10代から20代前半くらいはそれでいいのかも知れませんが、30代あたりを越えてくれば、それなりに人生経験もあります。

それを、自分の色を持ち込まずに、そこのルール、やり方、しきたりに合わせて動こうとしても、どうしてもずれていく。

わたしも、これまでに何度か、最近では弘前に来てからも、それで失敗したことがあります。

いくら合わせようとしても、大人しくしていようとしても、先輩を立てようとしても、
根っこの文化が違うので合わない部分はあるし、言葉も違うから目立ってしまうし、年齢ではこちらの方が上だったりもします。

相手からしたら、わたしが何をわかってないのかが、わからなかったことでしょう。

いっそ、目や髪、肌の色が違って、見た目で異文化の人だとわかるようであればよかったのに、 と思った事もあります。

ブラジルに移住した男の言葉「自国の文化を忘れた移住者は移住の意味がない」

たとえが大きくなりますが、日本から地球の反対側のブラジルに渡った数多くの移住者の中に、「コムニダーデ・ユバ」という協同農場をつくった弓場勇という人がいます。

彼の言葉に、
「自国の文化を忘れた移住者は移住の意味がない」
というくだりがあります。

ユバでは、日本から渡った1世の孫3世・ひ孫4世の子どもたちまで、母語は日本語です。

60人以上が暮らす農場の中では日本語が使われているからです。

そして、小学校に入る中でポルトガル語とのバイリンガルになります。

ほとんどの日本人移住地では、日本から移住した1世のお年寄りと、3世の孫たちはもう日本語で話すことができません。


ユバの図書館で蔵書整理

ユバの図書館で蔵書整理

わたしの初めての海外旅行は、23歳の時、このブラジルのコムニダーデ・ユバに、(結婚する前の)夫と2人で約40日間滞在したことです。

そこで見てふれて出会って感じたことは、20年近く経つ今も忘れられません。

子ども、若者たちは、見かけはまったくわたしと同じように日本人らしく、少しなまりはあるけれど日本語で会話ができます。

農場で働き、バレエを踊り、楽器を弾き、歌います。

その話しはここに書くと長くなりますが、興味のある方は当時書いたレポートをどうぞ。

関連リンク>ユバ農場訪問記--遙かなるヤマの子どもたち
(※劇団では元の姓「卜部」で活動しています)

これだけ突き抜けたコミュニティを日本から一番遠い外国につくり、弓場勇自身が交通事故で亡くなった後も続いていることを思うと、高知にブロガー村やニート村をつくりたいというイケダハヤト氏の夢は決して叶わぬ夢とも思えません。

自分をさらすのは少し勇気がいるけれど

フリーランスで仕事を始めて、このブログを起ち上げて、自分の好きな事も、弱い部分もさらして書いてきました。

普通なら、隠れて友好の人相手とだけ楽しむような趣味の話しも、積極的に発信しています。

「こんなこと書いて、どう思われるだろう」

そう、よぎることは今もありますが、意外と読む人はそれほど大事にはとらえていないのだと気づいてきました。

何か犯罪に関わるようなことなら別ですが、大人だけどお人形遊びしているとか、女1人でもプロレスを観に行ってしまうとか、その程度のことは「物好きねぇ」の範囲で済みます。

不登校をしていた、中卒だという過去も、「そうなんだ?」と言われるくらいです。

いくら、自分を隠して周りに溶け込もうとしても、溶け込んだ後に包み紙しか残らなくては意味がありません。

これから、息子が小学校に入って行くことを思うと、新しいコミュニティへ入る緊張感もあります。
でも、いくら隠れようとしても隠すことはできません。

自分は今さら津軽人にはなれないのだし、もし津軽人になっちゃったら北海道に生まれ育った意味がない。

わからないことは素直に聞きつつ、自分が持っている背景を変に隠さずに、新しい場所で新しい関係づくりをしていきたいですね。

……また、こうして学校とお付き合いするとは思わなかったなぁ。