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ミスター鈴井貴之さんと、24年ぶりに弘前で再会しました

全国シティプロモーション2015会場

全国シティプロモーション2015会場


行って来ました「全国シティプロモーションサミット2015」in ホテルナクアシティ弘前!
北海道から「水曜どうでしょう」で有名な鈴井貴之さんが訪れ、講演をするということを、広報ひろさきで見て応募していたのです。

10代の頃、札幌の小劇場に足しげく通っていたわたしにとっては、劇団「OOPARTS(オーパーツ)」を主催していた鈴井さん。
深夜のローカルテレビ曲の番組「プカプカ」で、増沢 望(現・増澤 ノゾム)さんと競演していた鈴井さん。
同じく小劇場にはまっていた友人と、いつもいつも話題にしていた人でした。
まさか20年以上経って、ここ弘前で再会するとは!
こちらは今も昔も一観客なので、一方的な思いですけど、感慨深かったです。

怒られないラインがどのへんかわかりませんが、トークショーの様子をお伝えします。

(なお、鈴井さんのトークショーは撮影・録音NGでしたので、画像はありません)


全国シティプロモーションサミットとは?


全国のシティープロモーション担当者が一同に集まり、自治体PRの手法や事例を共有したり、意見交換する集い。

前回2014年は神奈川県相模原市、その前の2013年は兵庫県尼崎市で行われていたそうです。

この人口減少の時代に、各自治体はどのように対策をするのか?
地域でのつながりづくり、観光施策、移住促進など、様々なテーマが盛り込まれています。

その全国大会、サミットが今年は弘前市で行われたわけですね。

弘前シティプロモーションのFacebookページより

「全国シティプロモーションサミット~ようこそ!りんご王国ひろさきへ~」今月29日(木)~30日(金)に全国シティプロモーションサミットが弘前市で行われます。これは、シティプロモーションを積極的に取り組んでいる自治体が集い、自治体間での...

Posted by 弘前市シティプロモーション on 2015年10月19日

オープニング 弘前紹介動画、りんご娘ライブ、りんご王国大臣の挨拶

まずは開催にあたってのオープニングセレモニーです。

プロジェクターで弘前市のPR動画が続けて上映されました。

連続移住小説 「ヒロとサキ」



ひろさき100ストーリーズ


続いて、農業活性化アイドル「りんご娘」のライブ。
「TRAIN」と、津軽弁を使った「だびょん」を披露。

そして、りんご王国大臣・葛西憲之弘前市長より主催者挨拶です。


りんご王国大臣・葛西弘前市長

りんご王国大臣・葛西弘前市長


「別に扮装が好きと言うわけではありませんが、嫌いでもありません。プロモーションだから市長もなんでもやらなきゃいかんのです!(笑)」

いやいや、お好きでしょう。
現存12天守閣の連携でも、陣羽織を着て訪問されていたじゃないですか。

「最近、国から色んなことを言われます。地方創世、少子高齢化、地域の活力が失われる…。
ほっといてくれ! 前からやってるよね!
皆さん、国からそんなことを言われるまでもなくやってます」
 (中略)
一番大事なのは市民と意思を共有することです。
何をやろうとしているか、市民に見える化する。
何もしないと思われていた役所ががんばってる→市民もがんばろうというイメージになる。
新しい風を帆に受けて、街と人を前に動かしていく力になりたい

と、力強く語っていました。

鈴井貴之トークショー「KAITAKU~開かないと道はできない」

鈴井貴之さんを知らない方の為に、プロフィールをご紹介。

本名 鈴井 貴之
生年月日 1962.05.06
出身地 北海道赤平市

大学在籍中に演劇の世界に入り、1990年に劇団「OOPARTS」を結成。
「OOPARTS」解散後は、タレント・構成作家としてHTB「水曜どうでしょう」などの数々の番組の企画・出演に携わる。
2001年より映画監督としても活動を開始。現在までに4作のメガホンを執る。作家としても活動しており、活動の幅は多岐に渡る。
2010年より、「OOPARTS」プロジェクトを始動。2010年、2014年と作・演出・出演として舞台作品を手掛けており、表現の枠にとらわれない作品を生み出している。
鈴井貴之 - プロフィール | CREATIVE OFFICE CUE Official websiteより引用)

以下、わたしのメモから印象に残った言葉を並べていきます。
録音していませんので、言葉やニュアンスがご本人の意図と違う可能性がありますこと、ご了承ください。


今日はフリートーク形式でいきます

普段はパワーポイントなど使う講演もしていますが、今日は『なるべくやわらかく、砕けた感じでやって欲しい』と言われたので、久々にフリートークでしたいと思います。
僕のことを知っている方には裏話も聞けて楽しんでいただけるかと思いますが、僕のことを知らない方は苦痛の1時間になるかもしれません。日々の生活の中に何かしらのヒントを見つけ出していただけたら幸いです。

りんごの選果ができます

大学時代、アルバイトで果物青果店の仲卸にいた。
午前3時半に起きて家を出て、朝5時から札幌中央卸売市場で選果していた。りんごの選果できます。
弘前に来る途中でリンゴ畑を見て、その頃を思い出した。

現在はクリエイティブオフィス・キューの会長

北海道札幌市でクリエイティブオフィスキューを設立、2010年まで社長だった。
今は社長は退いて肩書き上は会長。奥さんが社長。
北海道で劇団をつくり、いずれはプロの俳優・作家をしたいと29歳で会社設立。
と言うと青年実業家のようなイメージがあるが、資金は一切出してない。妻(現社長)の退職金で設立した。ヒモのような社長(笑)。

北海道でタレント事務所なんて絶対無理と言われた

CMやローカル番組のバラエティタレントなど何でもやってた。

北海道ではタレント事務所なんて意味が無い、無理だと言われた。
絶対、一生、中央に位置することはない。
がんばっても、情報番組のレポーターがせいぜい。
俳優や冠番組はぜったい無理。
ローカル局ではアナウンサーが一番、それ以外は格下であると言われた。

テレビ番組は東京・大阪の制作ばかりで、地元でなぜ作れないんだ?と思っていた。 北海道のテレビの大衆文化を創ってやる。

2015年の今

皆さんご存知の通り、大泉洋はうちの事務所の人間です。
「下町ロケット」に出ている安田顕も、今はアミューズと業務提携しているが、所属はオフィスキュー。

北海道で制作した映画も4本になる。

来年3月に開通する北海道新幹線の特任車掌になり、動画CMが今日WEBでお披露目。 >北海道新幹線開業PR動画

北海道赤平市でロケしたドラマ24「不便な便利屋」:テレビ東京も脚本と監督をやらせてもらった。

※「不便な便利屋」は青森県でも10月9日からATV青森テレビにて毎週金曜 24:20-25:00放送中とのこと!

財政破綻寸前だった北海道赤平市に暮らす

「不便な便利屋」は赤平市を舞台にしてロケをした。完全なる僕の町おこしプランです。

赤平市と言われてどこにあるか知っている人は、北海道でも少ない。
札幌~1時間15分くらい。滝川市の隣、富良野市の手前。

0~2歳まで赤平市。
7~8年前、夕張市のように財政破綻する寸前だった。(その後、財政破綻は回避)
自分の生まれた街が財政破綻になってしまう、何かできることはないか。

でも、自分がいたのは2歳までで知り合いもいない。
ほとんど札幌にいたし、よそ者だと思われるだろうと思っていた。

赤平の森を開墾して住んでいる

4年前から赤平に住んでいる。
森を開墾し、チェーンソーで木を500本以上倒し、重機免許を取って、抜根し整地するまでやった。
そこまでやらないと認められないと思った。
赤平の人たちの仲間になりたかった。
自宅のある森が6500坪、仕事の森4500坪。正式なルートで50万円で買った。

北海道は4500坪の広大な敷地が50万で手に入りますよ!

赤平市は人口1万人少々。かつては6万人くらい。産炭地だった。

赤平、芦別、夕張など産炭地だった街は、エネルギー政策が石油に転換されてから、いっきに人がいなくなった。

65歳以上の高齢者が多い。下手をすると市が無くなってしまうという状況にある。

地域おこしで映画制作が流行ったけれど、単館上映系の小さな作品は上映される機会が少ない。
もし、赤平市で映画を作っても、札幌市まで1時間以上かけて見に来てもらわないといけない。
でも、テレビなら各家庭にあるし、深夜放送でもデッキがあれば地元の人にも見てもらえる。

赤平市は実はすごいんです

赤平はすごい街なんだけど、知られていない。

エースラゲージのトランクは赤平で作られている。

空知単板というフローリングなどを作る工場も赤平にある。

エルメスが認めた完全手製の鞄作り「鞄のいたがき」も赤平。

「下町ロケット」のモデルにもなっている植松電機の植松努さんは、ロケットエンジンを開発した。赤平のパートのおばちゃんたちが作った部品で、宇宙にロケットを飛ばす。今は全国で講演会もしている。

【参考リンク】

近隣には富良野という化け物がいますが、そこまで行かなくても全国の人に赤平=北海道ぐらいには知ってもらいたい。

ドラマロケでスノーマン(雪だるま)制作ギネス記録に挑戦

赤平市は今年高校も無くなり、小中学生あわせて800人くらい。

将来、子どもたちが赤平はどんな街と聞かれて答えられるか?
自分自身も「かつては産炭地の街」ぐらいの認識だった。

子どもたちに夢を持ってもらいたいと、「不便な便利屋」のロケの中でギネス記録に挑戦した。

世界最多のスノーマン制作、1時間に1287体というアメリカの記録だった。

以前、札幌が2万個の雪だるまを作ったが、日本式の雪だるま(頭と体の二層式)だったので認められなかった。
世界標準はアナ雪のオラフのような三層式の雪だるま。

ギネスはガチなので、ドラマの筋書きも成功バージョンと失敗バージョンの2つを準備していた。

2月28日収録の前、15日に長野県飯山市でギネス記録を破り1585体を作った。

北海道の雪は内地と違ってサラサラなので、雪だるまが作りにくい。
しかも、1週間前からかなり冷え込んで、さらに固まりにくいパウダースノーになっていた。

当日は1000人以上の赤平市民が集まり、市外からもドラマの告知を見て500人近くが集まった。

そして、その日に限ってプラス気温になり、日光も出て雪に湿り気ができた。
結果、1時間で2036体のスノーマンを作ることに成功!
そこにいた子どもたち、幼児、小学生、中高生が笑顔でハイタッチしながら喜んでいた。

参考リンク>ドラマ『不便な便利屋』の中のリアルな町おこし|雪だるまでギネス世界記録 | Guinness World Records

施設などを作って便利になるのもいいけれど、子どもの記憶に残ることをしたかった。


……いかん、タイプしながらまた思い出して涙が出て来ました。

実は、わたしはこの赤平市に住み込んで仕事をしていたことがあったのです。

2001年~2002年頃、所属しているNPO現代座が、赤平市の市民ミュージカル実行委員会から要請を受けました。
代表を含む数人が住み込んで、赤平の人たちが赤平の劇を作り、作詞作曲をして、合唱の入った劇を上演する支援をしました。

あの時に出会った人たちや、生まれた子どもたちが、きっとこの風景の中にいたことでしょう。

そんな思い入れのあるわたしだけではなく、周りでもこっそり鼻をすすったりしている姿を見かけました。


水曜どうでしょう

「水曜どうでしょう」は、半年間だけの予定で始まった。
半年しか無いなら、好きにやろうぜと始めた。
既存の概念から外れよう。
ローカル番組の逆をやろう。北海道以外のところでロケをしよう。
北海道に帰りたくても帰れないという状況はどんなことか。そこから発想して、サイコロを振って出た目のところへ行く旅をした。帰りたくても帰れない。

あれは本当にガチで、何も無ければ何も無いままを放送した。

ヨーロッパの旅では本当に何もなく、ベトナム縦断では色々あり過ぎた。

その時のことを素直にやろうぜと決めた。

DVD累計販売数400万枚突破。
ローソンで発売した当初、北海道ならセイコーマートだろうとお叱りもたくさん受けた。
しかし、47都道府県に店舗があるのがローソンだった。

(※青森県も今年セブンイレブンができました)

外からの目を入れよう

地元を活性化させないといけない。と、みんながんばっている。
みんな街の自慢をする。
「自然が豊か」と言っても、北海道はみんな自然が豊か。
どこだってそう。

外からの目を入れて、客観視するべき。中にいる人間は、わからないことがある。
身内だけだと集まっただけで達成してないのに何か達成感、満足感ができてしまう。

自分は赤平市にとってそういう役割だなと思っている。
「水曜どうでしょう」も制作しているのは道産子だけではない。

外から来た人の方が、その町を愛してくれる。
外から移住した人の方が、北海道を愛してくれて、地元の人が知らないこともよく知っている。

ジャンルを作ろう

東京でいまこういうことが流行っている、じゃあうちもでは東京の真似をしたで終わる。

これは個人的な意見だけど、B級グルメったらみんなB級グルメ、ゆるキャラったらみんなゆるキャラ。それは中央のジャンルの1つになってしまう。

ジャンル自体を作る。

今は動画がブーム。移住促進の動画を全国で作っている。
僕もいま作っているんだけど(笑)、頭を抱えている。

今は無いこと、それを探す。
簡単な手がある。
かつてあったものを再現する。

「不便な便利屋」も昔っぽいテレビを作りたい。というトライ。
テンション高く、いつも怒っている。極力カットを割らない。

今あるものではなく、ゼロからか、かつてあったものを掘り起こしていく。
色んな挑戦をやっていく。昔はあったけど、今はない。そういうことをやったら面白いんじゃないか。

地域ではなく人をつくる

財政破綻の危機で赤平市の職員が長期的に給与3割カットになった。
それでも明るくて、ポジティブ。お酒飲んでる。

道の人も言う。赤平市の人たちはおかしい。こんな危機的な状況を笑顔で乗り切ろうとしている。

シャッター商店街だが、人の笑顔が見られる。
老人たちがサークルで笑顔で活動をしている。
それを見て育った子どもたちは、きっとポジティブになるんじゃないか。

街を作るということは、ものや制度も大事だけど、素敵な人材をつくる、その環境をつくるということが素敵なんじゃないか。

企業もだけど、芸術家とか素敵な人を誘致する。

今は赤平の森も1人だけの森だけど、いずれはゲストルーム、ゲストハウスを作って、知り合いの作家や役者やミュージシャンに来てもらって、赤平で創作してほしいと夢を持っている。

赤平でこの曲を作りました。と言われたい。

また北海道に戻って、明日から草むしりをする。
じっと耐えてがんばれば道は開かれる。
それを信じて開拓していきたい。


久々に生で見た鈴井貴之さんは、遠くから見ていたこともあってか、ほとんど24年前と変わらないように見えました。

「水曜どうでしょう」が全国区になったのは、わたしが東京へ出てからです。
また北海道に戻ってきた時は「ドラバラ鈴井の巣」を放送していました。

昔から尖っていた鈴井さんが、今こうして自治体の首長が集う場で基調講演としてのトークショーを行っているのも時の流れを感じます。

でも、やっぱり尖っている部分を感じられて、変わらないなぁとうれしかったです。

鈴井さん、ぜひまた弘前へおいでください。できれば、作品を持って。