これが曼珠沙華かぁ…。道産子が最勝院で彼岸花を激写してきた
弘前市内で人気の観光スポット最勝院に、彼岸花(ヒガンバナ)を見に行ってきました。
曼珠沙華(マンジュシャゲ)とも呼ばれるこの花、道産子のわたしは今まで実物を見たことがなかったのです。
夫の解説を聞きながら、愛用しているCANONのPowershotG7Xで撮影してきたので、ちょっとおすそわけです。
今回の画像はすべて大きさの補正のみで貼っていきますよ。
-スポンサー広告-PowershotG7Xで撮る彼岸花の朱
秋晴れの午後、最勝院に着くと真っ赤な彼岸花が並んでいました。
こんな目立つ色で花ばかりが大きくて茎が長い植物が、どうしてあるのだろうって不思議になる造形です。
見れば見るほど、不思議な花です。
たしか、北海道では普通には咲いていないんですよ。
本州に住んで仕事をしていた時も、わざわざ彼岸花を見に行こうということもなかったので、40歳にして初遭遇です。
はじめまして、ヒガンバナ。
マイナス10度を楽に下回る北海道の冬を越すのが難しいらしいです。栽培していれば咲くのでしょうが。
津軽地方でも難しいけれど、この最勝院の方がしっかり手をかけているのでしょうね。
ヒガンバナの別名、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)はサンスクリット語由来だそうで、仏教とともに日本に渡ってきたとか。
最勝院は真言宗のお寺だからここで植えているのでしょう。
と、夫が言ってました。
はい、わたしは仏教の歴史にはまったくうといです。すいません。
最勝院なの? 大円寺なの?
日本最北の五重塔を持つこの最勝院、地元の方は「最勝院(さいしょういん)」と言ったり、「大円寺(だいえんじ)」と言ったりします。
最初は別々のお寺の話しかと思っていました。
ここは、1532年に堀越に建立→江戸時代弘前城藩政時に城北の田町に移転→明治時代の神仏別離により現在地の大円寺跡地に移転と、500年近い歴史で場所を変えているそうです。
そして、今の大円寺を大鰐町に移転した跡地に最勝院が来たために、今も大円寺と呼ばれることがあるのです。
と、由緒書きを見ながら夫が解説してくれました。
「1532年って江戸時代?」→その前です。
「神仏分離って何?」→明治時代に天皇を中心とした神道を国教にしようとなって、それまで寺も神社もいっしょくたになっていたのを、分けるべしとした。
「大円寺も最勝院も同じ真言宗?」→そう。でないと墓もあるし大変なことになる。
日本史は海の外の歴史という認識のわたしに、とてもていねいに、時には喋りすぎるぐらい教えてくれる夫です。
たぶん、また何度も聞くね。これは。
ここは卯年の一代様って?
最勝院に来たのは宵宮以来だったので、日中に眺めるのも初めてでした。
ここには兎がまつられていて「ここは卯年の一代様だから」と、またなじみのないことを言われます。
一代様というのも津軽独特のものらしいので、追って他のところも見てみなきゃ。
とりあえず、最勝院が大円寺とも呼ばれている理由はガッテン!でした。
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