あなたはいくつ知ってる?弘前城の歴史トリビア
たびすけの西谷雷佐さんが、またまた素晴らしいブログ記事を書いていたのでシェア。
展望台から何を見せたいのか?「意味」と「価値」が伝わらなければ魅力半減?
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展望台から何を見せたいのか?「意味」と「価値」が伝わらなければ魅力半減?
【】司馬遼太郎スキーな夫が「北のまほろば~街道をゆく」の弘前城に登った時のページをパネルにして置いておけば解決!と申しております。
— さいとうみかこ(うらべっち) (@urabetti) 2016年5月10日
司馬遼太郎氏の街道をゆくシリーズで、数少ないみちではない紀行の巻です。
ところで、本丸にのぼった者は、この台上の主役が天守閣ではないことを悟らされるのである。
私ものぼりつめてから、天守閣を見るよりも、台上の西北が広闊に展開していて、吸い寄せられるように天を見ざるを得なかった。その天に、白い岩木山が、気高さのきわみのようにしずかに裾をひいていた。
(引用:北のまほろば~街道をゆく)
以下、この天守閣は津軽平野の支配の象徴ではなく、神である岩木山に仕えていることを知る云々と、岩木山と弘前城の関係について熱く書かれています。
未読の弘前市民はぜひ読むように。
わたしはまだ夫が彼氏だった頃に、弘前に遊びに来るようになると、長距離移動の列車やバスの中で半強制的に読まされました。
そこで!
意外と弘前で生まれ育った人がどれだけ弘前城のことを知っているのか確かめたく、「簡単な」弘前城トリビアをまとめました。
頭の運動にどうぞ。
もちろん、弘前市外、青森県外の方の挑戦も歓迎です。歴史好きなら地元民より知っているかも?
弘前城トリビア
- 現在の弘前城は、元々はお城ではなく櫓(やぐら)を改築したものである
- その前は五層の天守閣を建築したが、完成して17年後に焼失
- 天守が焼失したのは、落雷して中の釣鐘が焼けて下の弾薬庫に落下、大爆発したため
- 焼失後、約180年ほど天守無し。したがって、築城400年以上と言っても、中抜けが長期間ある
- 再建を志した当時、幕府より天守閣の建築は認められておらず、櫓を改築する届けを出して認められている
- 他の場所にあった櫓を移築・改装して天守にしたので、当時から曳屋を行っている
- そもそも五層の天守閣も建てられる時代ではなかったが、北方守護(北海道の平定・ロシアからの防御)の為に認められた
- 実際、津軽藩士が北海道に赴き、アイヌの英雄シャクシャインとの戦争もしている
- さらに、オホーツク沿岸の斜里にて対ロシアの警備の為に藩士100人ほどが向かったが、厳冬の中、栄養不良などで70人以上が病死している
- その大量死事件は長く秘密にされていたけれど、昭和29年になってからようやく藩士の日記発見により知られる
- それを契機に北海道斜里町と弘前市は友好都市になり、斜里町には弘前型のねぷたが運行し、弘前ねぷた祭りには斜里のねぷたも来ている
さあ、弘前生まれ、弘前育ちの人がどれぐらい知っているでしょうか?
…7番以降、天守閣から離れてしまった気がしますが、道産子が興味のままにまとめたトリビアだから仕方ありません。
昨年の弘前公園・菊と紅葉まつりでは、曳屋に合わせて弘前城の歴史にまつわる菊人形も展示されていたので、見ていた人も多そうですね。
昔の弘前城は雷が落ちて全焼したんだけど、その時の様子がこちらです pic.twitter.com/NhGRjuBOba
— りんご飴マン@青森の生キャラ (@ringo_a_me) 2015年10月24日
大変な場面なのに笑ってしまう…。
もちろん、岩木山とお城と桜の風景は、こういった歴史の知識がなくても楽しめます。
でも、せっかく見るなら、または地元民がお客さんを案内するなら、こういう知識を織り交ぜてみると、また違った魅力が見えそうですね。
参考資料
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