明治生まれのりんご「岡本」の花とご対面!
3月に江戸時代の享保雛を見せていただいたお宅に、今度は「日本最古のりんごの花」を見せていただいてきました。
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弘前市内のお宅で江戸時代の享保雛をながめながらランチしました | さいとうサポート
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弘前市内の個人宅で江戸時代に作られた享保雛(きょうほびな)をながめつつランチをいただいてきました。
うかがったのはGW後半の5月5日。そう言えば端午の節句の日です。
あのおうちがすっかり気に入っていた息子と2人でカメラを片手におじゃましてきました。
「皆さんに見てほしい」というご意向でしたので、その明治時代に日本で初めてりんごが植えられた頃から伝わる「岡本」の花の写真をご紹介します。
飲食店街の中にある新緑の庭で
ここは「新鍛冶町」という飲食店街が並ぶエリアにある個人のお宅です。
長い冬が終わり、桜の時期も過ぎかけて、すっかり新緑の季節。
中央に見える気は「梅」だそうです。
3月に窓から見下ろしてあれかと思ったのは違いましたね。
さらに奥に進んで塀のそば。
この手前の枝が、明治8~9年に植えられた「岡本」またの名を「君が袖」、英語では「ノーザンスパイ」という種だそうです。
もし、明治8年だとすると西暦1875年、2018年の今から143年前にもなります。
しかし、かれんな白い花…。
日本最古のりんごの木ではない理由
先ほどから表現が明治からの「枝」「花」となっていることにお気づきでしょうか。
実は日本最古のりんごの木は、ここ弘前ではなくつがる市にあるのです。
こちらは観光スポットにもなっていますね。
明治11年(1878)に栽植されたりんご樹のうち、現存する「紅絞」2本、「祝」1本が青森県天然記念物に指定されています。現在でも果樹が収穫できます。
( 日本最古のりんごの木|青森県観光情報サイト アプティネットより引用)
ではなぜ、ここのりんごの花の方が2~3年先輩なのに最古ではないのか?
それは、オリジナルの木はすでになく接ぎ木をしているから なのです。
手前の「岡本」側の花はぽつりぽつりと咲いていましたが、反対側の枝はもっと旺盛です。
でも、素人目には全然どこで接ぎ木されているのかわからなかったです。
貴重な資料もファイルされていました
おうちに上がって、奥様から資料のファイルを見せていただきました。
この新聞の切り抜きは昭和30年(西暦1955年)9月10日の陸奥新報です。今から63年前…。
「移植して79年」(明治9年栽植とみなして)の見出しが63年前の記事ですから、確かに142、3年前の樹ですね。
この頃には原木があったのですが、記事が出てから数年後に病気や害虫で枯死したとのことです。
隣の記事が南米移民出発の報なのも時代を感じます。
なお、陸奥新報は2016年にも取材に入られていたそうです。
他にも当時のメモや書籍、収穫の記録などを見せていただきました。
昨秋2017年は3個実がなったうち、1つは落果してしまい、2つを収穫したそうです。
今のりんごのようにおいしく長持ちはしない、と聞きましたが、どんな味なのか気になりますね!
明治時代に武士が職を失い大きな変化をせまられた時に植え始めたりんごの木。
3日の武士魂に続いて城下町ならではの歴史の重みを感じてきました。
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