弘前学院外人宣教師館で「青い目の人形」エリザベス・ハットンとご対面
弘前市の稔町(みのりちょう)にある弘前学院外人宣教師館&礼拝堂、GW特別公開に最終日ギリギリに行ってきました。
うちからわりと近いエリアにあるのですが、今まで行ったことがなかった弘前学院大学。
国指定重要文化財の弘前学院宣教師館は、絵本の中に出てきそうなたたずまい。
藤田記念庭園洋館や旧市立図書館と通じる異国情緒がありますね。
ここで、かつて日米親善のために贈られた「青い目のお人形」と出会ってきました。
1906年建築の外人宣教師館
今回公開展示されている弘前学院外人宣教師館は、1906年(明治39年)に私立弘前女学校に赴任した外国人宣教師の宿舎として建設されたそうです。
弘前女学校は、1886年(明治19年)日本基督教団弘前教会内に函館の遺愛女学校の分校として開設されました。
その沿革が、こちらのパネルに。
あれ、数年前に甲子園に出た聖愛高校って、弘前学院大学と同じ学校法人なのね??
というくらい、弘前の学校情報にうといわたしにはありがたいパネル。
今は高校も大学も共学ですが、元々は女学校だったんですね。
建物の案内図も入場した時にいただけます。
GW特別公開の最終日は平日でしたが、多くの人が訪れていました。
各部屋に待機している学生スタッフの方々が、ていねいに展示の内容を説明してくれます。
青い目の人形エリザベスと出会う
わたしにとって一番の目的は「書斎」に鎮座していました。
書斎を360°カメラTHETA SCで撮影したので、グルグルとご覧ください。
弘前学院大学外人宣教師館の書斎。 1926年にアメリカから贈られた親善人形「青い目のお人形」エリザベス・ハットンが展示されている。 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
正面に飾られているのが、「青い目の人形」エリザベス・ハットン。
2枚のパネルで紹介されています。(画像は拡大できます)
以下、さいとうがまとめた要約です。一部、他で調べて書き足してもいます。
まだ太平洋戦争が始まる前、経済不況などから日本とアメリカの関係に緊張感が高まっていた頃。
その状況をなんとかしたいと日本で宣教師をした経験がある牧師の発案で、ひな祭りにあわせてアメリカの子どもたちから日本の子どもたちにお人形を贈る運動が展開されました。
そして、1万体を超すお人形たちが、それぞれパスポートも持って船に乗って送り出されました。
そのお人形たちは全国各地の小学校などに配られ、弘前にも112体のお人形が届きました。
それが、1927年のことです。
友情人形と呼ばれたお人形たちは、うやうやしく歓迎され、小学校の校長室などに飾られて大切に取り扱われていました。
日本からは、答礼人形として高価な市松人形が58体アメリカに向かってパスポートを持って旅立ちました。
しかし、その後も国同士の関係は悪化し、1941年には太平洋戦争が開戦。
一転して友情人形たちは敵国のスパイと呼ばれ、命令によって竹やり訓練の的になったり焼却処分されたりしました。
このエリザベスは、そうした処分をしのびないと思った職員の手によって、新聞紙でくるまれ不用品のように物置におかれることで難を逃れたそうです。
この学校の成り立ちからすると、アメリカを敵国としてお人形まで壊させることができなかったのでしょうね。
戦争が終わり、時が流れて、1986年にエリザベスは再び発見されました。
渡来した時に来ていた白の洋服(写真立ての写真)は、経年劣化でボロボロになってしまっていたので、この赤いドレスが仕立てられたそうです。
ということは、このドレスは弘前産なのでしょうか。
縫製工場も多く、手しごとの得意な人たちが多い地域なので、そうかもしれません。
各地に残る青い目の人形たち
エリザベスの前には、2007年に長崎で開催された「青い目の人形と長崎瓊子展」のチラシと、展示図録でしょうか、開いた冊子がありました。
これを見ると、北海道にも青森県にもまだ残っているお人形たちがいるようです。
ちょっと近くに寄ったら訪ねてみたいですね。
12,000体を超えて贈られた中、現存するのは300体ほどとか。
その壊されていったお人形と、その場にいた子どもたちのことを想像するだけで涙が出てきます。
この青い目の人形については、大好きな梨木香歩さんの小説「りかさん」で知っていました。
作中に、大事にお世話をしていた青い目の人形が、竹やり訓練の的になり、自分の手で壊さざるをえなかった少女の場面があります。
帰宅してから読み返して、またボロボロ泣いてしまいました。子どもが帰ってきていたのに。
建物自体にも見どころがたくさん
展示は青い目の人形だけではありません。
この、国指定重要文化財である建築物そのものも注目するポイントがたくさんありました。
この応接室、こちらは天井と壁の境目にアカンサスの模様があるのですが、同じような間取りの2階の談話室は居住人スペースなのでシンプルになっているとか。
八角形にせり出した部分の窓の仕組みについてとか。
建築にも歴史にもうといわたしですが、スタッフの皆さんのご案内で興味を持って見学することができました。
弘前学院大学外人宣教師館(国指定重要文化財) 八角形の応接室。 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
新旧ガラスが入り混じる窓
わたしのお気に入りポイントはここ。
窓ガラスが昔のガラスと今のガラスが入り混じっているのです。
まっ平らに削られた現代のガラスと違って、建築時のガラスは吹きガラスで微妙な歪みがあります。
だから、同じ景色を見せていても、部分によってぐにゃりと景色の線が歪むのです。
写真に撮るとわかりにくかったので、ゆっくり歩きながら動画にしてみました。
どこが昔のガラスかわかるでしょうか?
場所によって微妙に景色の輪郭が変わる館での生活、現代のガラスに慣れたわたしたちにはちょっとめまいのような感じがしそうです。
ユダヤ・キリスト教の書庫「相澤文庫」
昔は食堂だったお部屋に、六角形の書棚がありました。
故・相澤文蔵氏(1912-1993年)の蔵書が遺族より寄贈され、ここを訪れた人は閲覧ができるのです。(貸し出しはしていないそうです)
弘前出身で西洋史学の研究者であった相澤氏は、1978年に弘前大学を定年退職後、弘前学院大学の非常勤講師として歴史の講義をしていました。
没後、地元紙「陸奥新報」に寄稿されていた弘前市とキリスト教の歴史についてのコラムを、弘前学院大学でまとめて編集し「津軽を拓いた人々」として書籍化。
そうした縁から1万点の資料が寄贈され、その中の一部がここ宣教師館に「相澤文庫」として収められています。
新しい礼拝堂には100年・200年を超える逸品が
続いて、宣教師館の向かい側にある薄桃色の建物に向かいます。
弘前学院大学礼拝堂。
こちらにも学生スタッフの方々が待機されています。
入口を入ると、聖愛高等学校の甲子園出場時の展示や、活躍しているスポーツクラブの展示がありました。
そして、礼拝堂に入ると、こちらです。
(クリック・タップすると360度画像が展開します)
弘前学院大学礼拝堂。 ステンドグラスは1905~1907年バイエルン王国製。 パイプオルガンは1880年イギリス製。 #弘前学院大学 #弘前 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
礼拝堂自体は2000年に建築された新しい建物ですが、正面にあるステンドグラス。
バイエルン王国(現ドイツ)にて1907年から2年がかりで制作されたステンドグラスですってよ奥様。
アメリカのミシガン州の教会で使われてきたけれど、この礼拝堂が建設された時に移設されたそうです。
……運ぶのも設置するのも神経使ったでしょうね。
さらに、その横にあるパイプオルガンはもっと古くてビクトリア朝時代のイギリスで1880年代に制作された逸品!
先日、ローカルFM「アップルウェーブ」でも音色が紹介されていましたが、今も現役で毎週の礼拝に奏でられているそうです。
すごい贅沢な空間で、ここの学生さんたちは集まってお祈りをしたりしているんですねぇ。
はっ!
アニメ「ふらいんぐうぃっち」の主人公たちが通う高校は、系列の聖愛高校の校舎がモデルっぽいのですが、そのままここに進学したら、讃美歌を歌う魔女になるのでしょうか!?
公開展示は今後もありそう!
ご案内していただいたスタッフさんは、学芸員資格課程を学んでいる学生さんとのことです。
GW期間中初の公開展示は、毎日予想以上の人が訪れて4日間で400人を超えたとか。
今回の展示は5月2日で終了しましたが、好評なので、またこういった機会をもちたいとの声も聞きました。
学校祭の時など、また展示の機会がありそうなので、ぜひ足を運んでみてください。
わたしのように歴史がいまいち覚えられない人でも、当時の暮らしを想像して楽しめる展示でしたよ。
【2018年4月追記】4月28日(土)~30(月・祝)特別公開再び!
この4月連休にも特別公開があります。
弘前学院大学の駐車場を無料で使えて、大鰐線に乗ると弘前公園有料エリアの無料入場もできるそうなので、ぜひ!
八戸市南郷には青い目の人形「メリーちゃん」がいました
八戸市南郷歴史民俗資料館で「しあわせのリカちゃん展」を見てきたよ | キセカエヤ blog
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八戸市南郷民俗資料館で2017年7月15日~9月3日に開催されていた「しあわせのリカちゃん展」のレポート。