弘前街ナカゼミ:第6回 コンシス代表・大浦雅勝さん「青森でIT起業を目指した結果、毛豆の生産にまで至ったお話し」
ちょっとユニークな生き方、働き方をしている大人が、弘前の学生たちに語る人生と仕事のお話し。
そんな弘前街ナカゼミが、今年度最終回を迎えます。
第6回のゲストは株式会社コンシスの大浦雅勝代表取締役。 先日のコワーキングスペースを考える集いは、コンシス1階に準備中の「WORKSPACE SHIFT」にて開かれていました。
個人的には月初は繁忙期なのですが、ここ1年ほど青森県内でのIT関連イベントに参加していて気になったことがあったので、学生さんたちにまざって聴講してきました。
なぜ、WEB専門事業者が毛豆を育てたり、まったく異業種なことをしていたりするのか? そんな疑問を持ちつつ、大浦さんの歩みとこれからの野望をうかがってきました。
(※例によってレポートは斎藤のフィルタを通したものであり、発言の詳細や主旨が違っている場合があります)
会場は今回も集会所インドリヤにて
会場は今回も紙漉町の集会所indriya。
ちょっと雪模様の寒い日でしたが、学生と社会人で10人以上が着席しています。
中には、三沢市からはるばる電車を乗り継いで来た方も!
「10枚の名刺を持つ男」と言われる大浦さん、さまざまな人との接点があるようです。
プログラム大好き少年がUターンでIT起業するまで
大浦雅勝さんの略歴
- 1972年 青森県弘前市に生まれる(0歳)
- 1981年 土手町の自主警備。毎日土手町通りを往復し、店がちゃんと営業しているかをチェック。結果を学校の壁新聞に貼り出す。そして駅にてブルートレインのチェック。(8歳)
- 1983年 マイコンに出会う。「こんにちはマイコン」はオレのバイブル(10歳)
- 1985年 ゲーム作りにはまる。電器屋のパーソナルコンピューターと紀伊國屋書店のプログラムが載った本を往復ダッシュし、記憶してはプログラム打っていた(12歳)
- 1991年 周りも進学するので何となく大学へ(18歳)
- 1994年 ゲームを作りたかった少年の夢を思い出し、スペースインベーダーなどで有名な株式会社タイトーに入社(21歳)
- 1995年 インターネットに出会う。高価だった薄型ノートパソコンを値切りに値切って給与1ヵ月分使って買う(22歳)
- 1998年 インターネットを使ったビジネスを始めようと志す(25歳)
- 1999年 タイトーを退社し、Uターンしようとするも、まだ青森県にインターネットの風は吹いておらず挫折。また東京へ戻る(26歳)
- 2003年 再度Uターン。弘前に誘致されていたIT系企業で働く。本社は東京だが、ほぼ自分の裁量で動かすため社長のような状況だった(30歳)
- 2009年 株式会社コンシス創業(36歳)
- 2011年 毛豆研究会設立(38歳)←???
同世代なので、70年代生まれあるあると思い当たるお話しでした。
しかし、やはり最後がわかりません。
ちょっと休憩を挟んで、軽食をいただきながらの後半戦へ続きます。
津軽の毛豆とイガメンチを食べながら
どーーーん!
ほかほかを湯気をたてる津軽の毛豆。
それに津軽のカッチャ(お母さん)の味・イガメンチ(=イカのメンチカツ)。
おいしくいただきながら、後半は参加者からの質問に答えながらのトークです。
なぜ起業家を目指したのか?
「25歳の時、親友が死んだんです。
それをきっかけに、いつ自分の人生が終わるかわからないと気づいた。
自分のやり方で仕事をすると決めてから、起業が実現するまでは11年かかりました」
なぜ毛豆の生産をしたのか?
「まだ20代でWEBデザインを始めて60代になった人はいない業界なんです。
おそらく、20年後には今とはまったく環境が違っている。自分のWEBのスキルはまったく役に立たなくなっているはず。
その時にもできる仕事、老後の楽しみを今から作っておこうと思いました(笑)」
毛豆研究会は大浦さんの趣味だけではなく、株式会社コンシスとしてもちゃんと毛豆生産者として農家さんと並んでいます。
もちろん、毛豆研究会のWEBサイト制作もされています。
ところで毛豆って何?
毛豆は青森県在来種の枝豆。
秋に収穫され、茶色い毛があり、大粒で味が濃いことが特徴です。
枝豆市場は夏にもっとも需要があり、秋には縮小されてしまうので経済的に割に合わず、農家、主に嫁が種を持ってきて自家用に育ててきたそうです。
これを、時期をずらしたり、加工食品にするのではなく、そのまま秋に獲れる豆「毛豆」として市場価値をもたせたい、とプロモーションを仕掛けている大浦さん。
「最強毛豆決定戦」を過去3回開催しているが、1位から3位の受賞者は順位こそ変われど同じメンバーが続いている。
種を集めて研究して、最強の美味しい毛豆を、どこでも生産できるようにしたい。
そうして日々毛豆の研究をしているそうです。
起業するのに必要だった3つのこと
未来志向 過去のことよりもこれからのことに目を向ける性質。
タイミング 1999年にはまったく青森県でIT、WEBを仕事にできる状況ではなかった。2003年にIT企業が弘前にきていた時、求人募集していなかったけれど、門戸を叩いて入社した。将来起業するつもりだったので、給与は度外視だった。
コミュニティ 最初にUターンしようとした時は、地元に同級生がほとんどいなかった。携帯も高校生の頃はなかったし、連絡のしようもなかった。6年間弘前で働いて、自分のつながりをつくっていった。
なぜWEB事業者がまったく異業種の活動をしているのか?
これは、わたしからの質問です。
ここ1年ちょっとの間、青森県内でのIT系セミナーに参加していると、WEB事業者が全然違うジャンルの肩書きを持っていることに驚きます。
毛豆研究会だったり、料理研究家だったり、仕出し料理店だったり……食べるもの多いですね。
IT関係の業種だと、依頼者との打ち合わせ以外は、ほとんど同業種同士の勉強会だったり、別の仕事でもなにか「パソコンを使った仕事」だったりするイメージがありましたが、全然違う。
なぜ青森県のWEB事業者に、そういう傾向があるのでしょうか?
「地域での課題を解決するために、自分が動かないといけない。
たとえば、ここにこういう建物を作ろうとして、そこに岩があったとします。
その時に、自分はデザインだけだからと言っていては進まない。
ブルドーザーに乗り換えて岩をどかして、また戻る。
そうしているうちに、肩書きがどんどん増えていくんです」
増えていくギャラリー
ゼミも後半を過ぎた頃、青い車に赤い顔の人が乗ってやってきました。
今日はニセりんご飴マンもいる!?
本体は先日会ったばかりですが、ニセものは初めて見ました。
さらに、第3回のゲスト・たびすけの西谷雷佐さんも登場。
後ろのギャラリーがどんどん濃くなっていく…。
わたしも利き酒したかった…。保育園の送迎が無ければ!
人生>生業
コンシスと毛豆研究会の他にも、弘前大学人文学部特任准教授、弘前経済新聞、ワークスペースSHIFT、ハーベストマーケットなど、たくさんの生業(ナリワイ)を持つ大浦さん。
全然お金になっていない事業もあるそうです。
「起業するまで11年かかったとのことですが、学生起業はどう思われますか?」
との学生からの質問に対して、
「今は昔と違って起業を応援する風がある。一度失敗することでわかることもある。自分が採用担当だったら、大学時代に一度会社を潰しているぐらいの方が採用したい」
と答えられていました。
生業と人生は近いけれど、やはり人生が大事。
自分がどこで、誰と、何を、いつまでしていくかを、自分で決めていく。
そしてコミュニティをつくっていく。
25歳から先のこと先のことを考えて動いてきた大浦さんのお話しに、わりと出たとこ勝負の自分をかえりみてしまいました。
40代になって起業するなんて、数年前まで思わなかったわたし。
まだまだ新しいことに挑戦している中にあり、(ほぼ)同世代の大浦さんが老後のライフワークまで手をつけていることに驚いています。
そうか、60代までもうあと20年無いのですね…社会に出てから20年、ちょうど折り返し地点ぐらいですよね…。
そんな自分の立ち位置を考える一時でした。
いや、毛豆とイガメンチうめーって食べてましたけれど!
おみやげに毛豆いただきました
食べきれなかった毛豆をおみやげに持ち帰らせていただきました。
さっそく、晩ご飯の食卓へ。
夕食が一品助かっちゃいました。ありがとうございます!
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