「4月下旬の胸騒ぎ」(再掲)不登校新聞48号寄稿
4月最終日の今日、保険を扱う事務の仕事が繁忙期を迎えています。
そんな中ですが、過去の自分が書いた文章が出てきて、4月のうちに掲載しておかなくちゃと思ったのでここに載せます。
自己紹介の中でも書いていますが、わたしは小学校高学年から中学卒業まで、いわゆる不登校をしていました。
その時の経験が、今の自分の進んできた道にもつながっているし、考え方のベースにもなっています。
この作文を書いたのは、25歳の頃。劇団の仕事をしていた頃で、結婚する前のことです。
「不登校新聞」に、元当事者として寄稿した文章です。
今見ると、やはり20代の青臭さというものがあって恥ずかしいのですが、伝えたいことは変わりません。
少し長文ですがどうぞ。
「4月下旬の胸騒ぎ」
四月になると思い出す
北海道にも遅い春が来て、ようやく緑と花が開きはじめる季節です。
二十五歳になったわたしですが、この時期になるとふと胸がさわぎます。四月は新学期の季節。「もういちど頑張ってみよう」と緊張しながら学校に行き、無理をして頑張っていた頃を思い出します。
小学校六年生の頃から中学校卒業までほとんど学校に行かなかった中で、四月だけは出席日数が人並みにありました。毎日学校に通うことに疲れ切り帰宅すると倒れます。
ようやくゴールデンウィークにたどりつくと、もう連休明けには登校することができませんでした。
「もう行けない」と腹痛や微熱というかたちで身体が言うことをきかなくなってしまうのです。
そして母が学校に欠席を伝える電話をしているのを聞きながら、ほっとするのと同時に「また、だめだったか」というやりきれない気持ちがわきあがっていました。
「町内唯一」の登校拒否児童
不登校をはじめたときは北海道の小さな町に住んでいました。町内唯一の不登校児でした。
登校拒否という言葉も知らず、自分は心の病気なのだと思っていました。
いつかは治して「普通に」学校に行けるようにならなくてはいけないと。
だから、カウンセリングや通院なども自分から進んで行っていました。
札幌に引っ越して再スタートしようとしたけど
中学校三年生の春、親の転勤で札幌に引っ越ししました。
もう自分が不登校していたことを知っている人はいない。
窮屈な制服を着こんで新しい学校に通いはじめました。
もうネクラなんてレッテルとは別れたい。
今思うといじましいほどにおどけていました。
そんな無理がきかなくなったのは、やはりゴールデンウィークあけ。
「もうだめだ」と絶望的な気持ちになりました。
フリースクールとの出会い
しばらくぶらぶらして休みました。
札幌はさすがに都会で、昼から本屋に行っていても誰にも注目されません。
そんなある日、アイドル雑誌「明星」の誌面でフリースクールというところがオープンしたという記事を読みました。そこには不登校の子たちが集まって自由に学んだり友達をつくったりしていると、楽しそうな様子が紹介されていました。
わたしはその雑誌を買って帰り、しばらくその記事を読み返していました。そして、そこに書かれていた連絡先に自分で電話をかけました。
その夏からわたしは「フリースクールさとぽろ」に通うようになり、たくさんの「仲間」と出会いました。
不登校している自分が異常なんじゃないと劣等感を振り払えるようになったのはそれからでした。
フリースクール卒業~就職、上京して劇団員に。
わたしは中学校を卒業した後、さとぽろに通い、フリーターの期間を経て、劇団に入団しました。
高卒の資格は必要に迫られなかったので、大検(後の高認)の科目を途中まで取ってほったらかしています。
いつか気が向いたときに高校生をやれる条件があるというのもいいものです。
十代の頃は昼夜逆転の生活をしていましたが、必要とあらば早起きもできます。
人と話すのが苦手だと思っていたけど、毎日のように初対面の人に会って劇団のことを説明したり、どうしたらこの町で「劇場づくり」ができるかと相談にのってもらったりしています。
今の仕事に飛び込めたのも、不登校をしていたからこそ、進学就職のレールがなかったからこそだと思います。(仕事のことはまた機会があれば書きたいと思います。)
大丈夫、生きていけるって伝えたい
「学校に行きたくない」というきっかけが多いのは、やっぱり連休明けなのでしょう。
学校が始まる前日に中高生の自殺が相次ぐといったニュースを見ると、他人事とは思えず悔しさがこみあげます。
学校などのために死ぬまで追いつめられるなんて。
大丈夫だって、生きていけるって、間に合うのなら伝えたい。
暗闇の中に落ち込んだように思うときでも、もし、わたしが先を歩くことが灯りになるのなら。
わたしだって強くはないし、自分に失望することは多々あるのだけど。
(再掲載にあたり、改行、見出しを追加しました)
不登校新聞・Fonteのこと
不登校新聞『Fonte』は、特定非営利活動法人 不登校新聞社が月2回発行している不登校・ひきこもりの専門紙です。
郵送されてくる紙版と、ネットで読めるWEB版があります。どちらも月額820円。わたしはWEB版を購読しています。
当事者や親・フリースクール関係者の生の声、フリースクール支援政策の経緯などが読めます。また、地域毎の親の会とコンタクトすることもできます。
いま、まさに苦しい渦中にある人にとっては、「自分だけじゃない」ことを知るだけでも救いになります。
この文章を書いてから15年が経ち、結婚して劇団の専従を降りて、出産、津軽への移住、自営業開業と、どんどん当時の自分が想像もしていなかった「今」にいます。
そして、やっぱり自分の至らなさに身もだえするような日もあるけど、けっこうなんだかんだやって生きてます。
14・5歳とかで死ななくてよかったですよ。
不登校元当事者のわたしに話しを聞きたい、話しを聞いて欲しいという要望がありましたら、info@saitoumikako.com、またはTwitter・Facebookなどでご連絡ください。
可能な限り対応します。
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