選択されているタグ : 自己紹介 , 異文化理解 , 意見

夫婦別姓について考えて思い出した、わたしが「斎藤」になった理由


夫婦別姓を認めない現在の法律が「合憲」と最高裁が判断したニュースが、昨日から流れています。

参考リンク>夫婦別姓認めない規定 合憲の初判断 最高裁 NHKニュース

ニュースを見ながら、6歳の息子に聞いてみました。

「もし、父ちゃんと母ちゃんの名前が別々だったらどう?」
「え、じゃあぼくは?」
「息子くんは、どっちかの名前だよ。“さいとう”でもいいし、母ちゃんの“うらべ”でもいい」
「……そんなの、やだぁ。みんないっしょがいい」(涙目)
「じゃあ、最初からみんな“うらべ”だったら? みんないっしょだよ?」
「やだやだー! “さいとう”がいいー!!」
息子、ボロボロ涙をこぼしました。

な、なにも泣かなくても!

あわててなだめながら、たった6年間生きた息子にとっても自分の姓名が大事で愛着があるもので、わたしはそれを生まれてから27年も経って変えたのに、涙ひとつこぼさなかったんだなぁ、としみじみしました。

夫婦別姓にあこがれはありつつ、夫の姓「斎藤」になったわたしのお話し。

「うらべ」が「さいとう」になるまでがじわじわしてた件

0~27歳まで → さいとう率0%


わたしの名前は「卜部」美佳子でした。
「卜部」と書いて「うらべ」と読みます。

転じてあだなが「うらべっち」、これがネットでのハンドルネームにもなりました。

夫とつきあいだして、遠距離恋愛を数年、同棲生活を数年。
住民票は同じ住所だけど、戸籍上は別々なので、当然この期間は100%うらべです。


27歳~35歳 → さいとう率30~50%


27歳の時に、東京から札幌へ引っ越しすることになり、わたしの地元に住むこと、アパートを借りやすくなることから、入籍しました。

この時、どちらの姓にしてもよかったのです。

なぜ、夫の姓である「斎藤」にしたか?
 → 全部、自分にもらってたから

夫が東京へ来たのも、札幌へまた引っ越した時も、わたしのために来てくれたのです。
ここで名前まで変えさせるのは、あまりに全部をもらいすぎな気がしました。

それで、いずれは(何年後になるかはわからないけど)弘前に行くから、と「斎藤」になり、本籍地も夫の実家の住所にしました。

もし、この時点で夫婦別姓が認められていたら、夫に名前を変えてもらう必要もないので、そのまま別姓にしていたと思います。

結婚したものの劇団の仕事は続けていたし、そこでは卜部のままだったので、最初の数年は全然斎藤ではなかったです。

その後、劇団の専従スタッフをやめて舞台がある期間だけ行くようになり、普段は札幌のコールセンターに勤めました。

ここでは、斎藤です。

電話オペレーターとしては、斎藤というよくある名前は個人を特定されることがなくてよかったです。

コールセンター以外では、劇団でも、友だちからも卜部かうらべっちで呼ばれていたので、この期間もさいとう率は50%くらい。

そう、出産をするまでは。

35歳~38歳 ママになったら、さいとう率90%に


35歳で出産したら、当然ですが家族3人が斎藤になりました。

1対1から3人に。

しかも、劇団の仕事をすることもなくなり、子どもの母親という役割が増えたので、さいとう率が急上昇。

ママ友からも、「斎藤さん」「○○くんママ」と呼ばれるようになります。

38歳~現在 弘前移住して、斎藤だらけになり、「さいとうサポート」開業


弘前に移住したら、わたしを卜部と呼ぶ人が周りにいなくなりました。

特に移住当初は、弘前出身の夫の妻、あるいは息子の母としての役割だけでした。

札幌で結婚した時に、姓だけ「斎藤」にしておいたのに、オセロの石が全部ひっくり返されたようでした。

移住してしばらくの情緒不安定は、このへんにも一因があったようです。

しかし、その後は仕事や趣味で友だちと活動範囲を広げ、なぜか「うらべっち」と呼んでくれる友だちもできました。

そして、「さいとうサポート」を開業。
夫の姓だった「斎藤」が、わたしの屋号の一部になっちゃいました。

また、やたらに出かけて行って交際範囲を広げているので、弘前で18年生まれ育った夫よりもこの街の友人知人が多くなりました。

逆に、斎藤と言えば美佳子、というぐらいの勢いです。
嘘です。この街の斎藤・工藤率の高さは異常。
そこまで言わなくても、夫が「みかこさんのダンナさん」というポジションになることが多くなりました。ふふふ。

そうして、99%ぐらいは斎藤になりましたが、すっかり自分の名前として使っています。

あ、今も劇団に籍はあるので、1%は卜部ですね。

夫婦同姓でも別姓でも好きに選べたらいいんじゃないの?

夫婦別姓をしている人のリアルを聞こう

わたしの場合は、いわば取引的に名前を夫の姓に変えたわけですが、それは夫の姓を変える方が抵抗感があったからです。

繰り返しますが、夫婦別姓が選べたならそうしていたでしょう。

劇団の先輩たちも、戸籍は同姓でも呼び名は別姓の夫婦が多く、子どもは戸籍の姓でしたが、特にバラバラになるとか、おかしくなるということはなかったです。

劇団だと職場と生活の場がかなり近いので、誰と誰が夫婦なのかしばらくわからなかったりはしましたが。

そういう例を身近に見ていたからか、夫婦別姓をつらぬく夫婦にはあこがれもありました。

香川県の主夫ブロガー、ヨスさんは夫婦別姓、しかも戸籍上の姓は自分の方を変えたという、世間の大多数とは違う選択をしています。

【参考リンク】
【悲報】夫婦別姓を認めないのは合憲と判断! この裁判にすでに男女不平等の構図が… | ヨッセンス
夫婦別姓を実行してます! 家族がバラバラになるどころか…… | ヨッセンス

身近に夫婦別姓をしている人がいなくても、実践している人の言葉を読むことができるのは、今の時代のいいところですね。

6歳の息子でも、自分の名前が変わることを想像したら泣くほど嫌がりました。

27歳のわたしがドライに変えたのは、子どもの頃から「お嫁さんはダンナさんの名前になるもの」という「常識」を刷り込まれていたからとも言えます。

夫婦別姓が選択できるかどうかは、国会での議論に場を移します。

自分の息子が、あるいはそのパートナーが、よく話し合った上で未来を選べますように。

男だからこうしなさい、女だからこうしなさい、という縛りは、なるべく残さずに手渡したいものです。