ほめられよいこの通り道
早朝起床のイケハヤ先生から、「記事転載しましたよ~」とメッセージが来ていて目が覚めました斎藤です。
関連リンク>「イケダハヤトのブログ塾」に10ヶ月参加。その費用対効果は? : まだ東京で消耗してるの?
記事タイトルが変わった他は、特に編集されていないようです。
20時現在、「まだ東京で消耗してるの?」から当ブログへおいでの方は200人以上。
まだまだ増えています。いらっしゃいませ!
オンラインブログ塾でも、子どもの頃からの「よいこな優等生キャラ」を発揮しています。三つ子の魂なんとやら。
昔はコンプレックスもあったけれど、今はもうこのままいってしまえと開き直っています。
お役に立ちますよ?
作文が文集に載るような小学生でした
小学生の頃、◎>○>△の三段階評価の通信簿で◎が並び、特に国語は作文が町の文集に載るような子どもでした。
ひたすら本を読むのが好きでした。
ほめられるのも好きなので、読書の冊数を競わせるという意味のうすいコンテストでも上位を狙ってとっていました。
特にコンテストが無くても本は読み続け、友だちの家に遊びに行ってそこの本(マンガ含む)を読みふけったり、うちに友だちが来ても本を読んでいたりして、友だちから怒られたりしました。ほんとゴメン。
作文は、読んだ本の好きなフレーズをちょっと真似たり、こう書けばうけるだろう、ほめられるだろう、ということをわかっていて書いていました。
小3の頃でもはっきり意識していました。
ええ、かわいくないですね。
オリジナリティがなくてもパクリはダメだと気づいた
子どもなのに、子どもの作文集や詩集の全国版なんか図書館で読んでいました。
そういう全国レベルで選ばれた子の作品は、自分なんかと違ってもっと型破りだったり独自性がありました。
悔しくて、その表現をパクって国語の詩を書く授業に使ったことがあります。たしか小4の頃。
文章の丸パクリではないけれど、発想の元が見て書いたものなので、自分の発想ではありません。
その詩は授業で評価されて、先生にみんなの前で読まれたけれど、あまりに居心地が悪くて顔から火が出そうでした。
家で父親からも「みかの詩はいいねぇ」とほめられたけど、後ろめたくて受け取れませんでした。
しばらくは後からばれるのではないかと怖くて、ビクビクしていました。
それで、パクリはやめました。
優等生キャラでいい、と開き直ってみた
先生にはほめられるけど、周りの子から浮いてしまってなじめなかった優等生。
なにしろ、ネクラはダサい、ネアカでハッピーな80年代です。
結局、小5の三学期に神経症的な状態になるほど学校へ行けなくなり、親も休ませてくれて長期不登校に。
北海道の小さな町でも、そんな外れすぎない・真面目すぎない・空気を読んで合わせることに疲れきってしまうことはありました。当時だって都会だけで不登校があったわけではありません。
その後、父の転勤で札幌に引っ越し、できたばかりのフリースクールに通うようになり、個性的な友人たちに恵まれました。自分がつまらなく思えるくらい。
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でも、開き直りました。
優等生上等! ほめられてうれしい!!
突き抜けた才能はないけれど。
そんなに秀才ではなくて田舎の小学生でクラス3位以内とか微妙だったんだけど。
キャラとしての優等生でいいやと開き直りました。
それは仕事に出てからも同じ。
そこそこ器用にそつなくできて、わかりやすい文章が書けて、誰とでもそれなりに関係を作る。
当たりさわりないよい子でも、得意なポジションはありました。
どうやって人から評価をしてもらうか。
どのポジションに行って、何をしたらいいか。
周りの空気に合わせようとしすぎるのは不毛な消耗戦ですが、流れを見た上でさっと空いているポジションをとっていく。
ほめられよいこの通り道、たまに曲がりくねったりもしつつ、まだまだ続きます。