心配していた「虐待」の手前で踏みとどまらせてくれたのは、息子を愛してくれた他人でした
まだ息子が赤ちゃんだった頃、わたしは子どもを産む前に心配していた通り、何度も育児に煮詰まって投げ出したくなりました。
怒鳴ったり手をあげたりしたくなることも、お世話を放棄したくなることもありました。
でも、「虐待」の一歩手前で踏みとどまらせてくれたのは、近所や通りすがりや、遠くにいる他人、それに家族・親族のおかげでした。
核家族で育児をする時、なるべく自分たち以外の人にたくさん子どもを見てもらう。
それが後に自分にブレーキをかける力になりました。