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なぜ保活もまともにできなかったわが家が待機児童にならなかったか #taikijidou0challenge

保育園入園当時の息子(0歳4ヵ月)

保育園入園当時の息子(0歳4ヵ月)


女子風呂つながりのmiho(@mihomama)さんからバトンが回ってきたので、保育園について書きます。

mihoさんの記事はこちら↓
親になればきっと誰もが考えるだろう待機児童問題 #taikijidou0challenge

mihoさんの記事を読みながら、
「……待って! お子さん何人!?」
と数え直したのはわたしただけではないはず。(6人の子育て中!!)

このバトン出発のブログはこちら↓
働きたいけど働けない!待機児童問題に悩むママパパの声を聞いて!!「待機児童ゼロチャレンジ」を開催します!#taikijidou0challenge【拡散希望!】| I Love Twins!!~双子のママパパへ

おりしも、はてな匿名ダイアリーでこの記事が拡散され、
保育園落ちた日本死ね!!!

東京都議のおときた議員が記事を書いたり、
「保育園落ちた日本死ね!!!」って言われたけど、むしろ東京都は保育園をつくるべきではない理由 | 東京都議会議員 おときた駿 公式サイト

病児保育NPOフローレンス代表の駒崎さんが書いた記事がまた支持を集めたりしています。
「保育園落ちた日本死ね」と叫んだ人に伝えたい、保育園が増えない理由 | 駒崎弘樹公式サイト:病児・障害児・小規模保育のNPOフローレンス代表

待機児童問題については様々に書かれているので、わたしが他に書き足すこともない気がしますが、一応、現役の保育園児ママとして。
もうすぐ保育園も卒業ですしね。


保育園生活スタートは生後4ヵ月から


実は、わたしたち、待機児童について語ろうにも、保育園は2回も第一希望で入れてしまっていました。

ひとつ目は札幌の保育園。

息子が生まれたのが11月下旬。
その翌年4月1日から、札幌市内の認可保育園に入園しました。
生後4ヵ月。寝返りを始めた時期でした。

わたしたちの保活=保育園探しは、産休に入ってからでした。

当時、新型インフルエンザが流行っていて、まだ豚インフルエンザだと騒がれていた時期だったので、妊婦の保育園見学を断られることが続きました。

結果、出産前に見学できた保育所は1カ所。

そこを第一志望としてダメ元で出した4月の年度初め入園が、あっさりと決まりました。

なぜ待機せずにすぐ入園できたのか?

これは推測でしかありませんが。

たぶん、すぐに入れた要素の1つは、わたしが育児休業中で復帰を前提にしての申し込みだったこと。

育休切りにあいかけていたのに、労働局に駆け込んで逆転させただけのことはあるのです。


園舎が古い保育園だった

入園した保育園の定員はたしか100名くらい。まぁ、大きめな方です。
しかし、日曜・祝日の保育は対応していませんでした。(当時)

園舎は古くて同じクラスのママは「わたしが子どもの時に通ってたまんま」と言っていました。

そこを第一志望にしていたこともあったかもしれません。
なお、園舎は2年後に建て替えされ、ピカピカの新築になりました。

世帯収入がギリギリだった

妊娠するまでは長い間DINKS生活だったわたしたち。
それぞれが社会保険引いての手取りが月15~17万ほど。
月30万以上あれば、贅沢をしなければ暮らしていけるという収入でした。

家計という概念が無く、それぞれのお財布と通帳から生活費を折半して、残りはそれぞれ好きに使っていました。

それが、わたしが妊娠したことで、まず働きが減りました。
月170時間ほど働いていたところを、身体を大事にして月100時間程度に。
基準を満たさないから社会保険も外れて、夫の扶養に入りました。
これでわたしの収入が5万ぐらい下がって、月10万円前後になりました。

恥ずかしながら、初めて世帯収入の家計簿をつけはじめ、家計管理をし始めました。

さらに収入が無い産休期間が過ぎ、育休になると休む前の賃金の3割(当時)が支給されました。フルタイムで働いていた時が基準ではなく、産休に入る前の時間=賃金が基準だったので、それはそれは低くなりました。
当時の記録を見ると、1ヵ月2~3万円ぐらいでした。

そして、訪問介護ヘルパーだった夫の収入は月19万前後。(月1万以上の定期代含む)
正社員で休日は月5日程度、何なら課長でしたが、賞与、退職金、昇給無しでそれぐらいでした。

ということは、家賃負担を除くと3人世帯の生活保護支給額より少しばかり上、というぐらいです。

だから、入園決定通知が来た時は、
「これは、あなたも働かないとヤバイねってお上に認められた」
と思いました。


弘前に移住して2ヵ月後に入園


通勤路から見る岩木山

通勤路から見る岩木山

さて、息子が3歳になる直前、夫の故郷である青森県弘前市に、家族3人で移住しました。

3年間お世話になった保育園とお別れです。引っ越しの荷造り中まで預かってもらいました。

そして、弘前に来て2ヵ月後の2013年1月から、息子は弘前市内の保育園に入園します。

その保育園はうちから近いので、移住直後に求職活動や失業給付手続きの時にも一時保育でお世話になりました。
息子は人見知りしないタイプだったので、特に泣くこともなく預かられていました。

幼稚園も見学しましたが、預かり保育が別料金で毎日かかってしまうことや、土日、長期休暇などの問題がありました。

年度途中の入園、しかも母親は求職中では4月まで待機になるかな、と思いつつ入園申し込みを市に出したところ、アッサリと入園が決まりました。

ちょうど求職中ママの枠が空いたばかりだったようでラッキーでした。

そこから数ヶ月以内に職を決めないと退園になってしまうので、大急ぎで求人セット型職業訓練に申し込んで黒い会社に入ったのですが、それはまた別の話。

この時も、夫が転職直後で札幌時代よりも収入が3割ぐらい下がったこともあり、
入園決定通知を「しっかり働けってことですね!」と受け止めました。

なお、わたしの場合は、家で家事育児に専念すると煮詰まるので、生活のために嫌々ながら働きに出る、という意識は全然ありません。しっかり働きますよ!

まず首都圏で子育てするのが無理ゲー感ある

身も蓋もないのですが。

周りを見ても、札幌では同僚が待機児童になったり、認可外保育園に預けての苦労などを聞いていたのですが、弘前ではそういうことを聞きません。

東京ではシングルマザーでさえ、認可保育園に入れないケースがあると聞きます。
保育園に入りやすい時期にちょうどよい月齢になっているように妊活するとか、保活も10園以上は見学するとか、無理無理!!

おときた議員のブログを見ると、保育園をいくら増やしても、いままで最初から諦めていた層も申し込みをする結果、待機児童は減らないという論旨です。

満員電車に乗り合わせようものなら、ベビーカーをたたむのたたまないの、泣き声がどうのと喧々囂々です。

首都圏に住んでいたこともありますが、あそこで子どもを産み育てるのは、無理ゲー(達成が無理なゲーム)じゃないかと思うのです。人多すぎ。

もうちょっと地方に仕事を分散して、無理に首都圏にしがみつかなくてもいい暮らしの選択肢があれば、小さなパイを大人数で争奪戦するようなことにならないのではないかなあ。

今の自分からあげていく声

保育士の待遇を上げないと、やる人がいないよって駒崎さんの主張には同意です。
介護士も同じですね。待機老人減らしたいなら介護士の待遇上げましょうよ。

そして、日本死ねの女性には、色々と叩き意見も集まっているようだけど、本心から怒った時は言葉選んでる場合じゃなく声を上げた方がいい。本気の声だったから、あそこまで拡散したのでしょう。

まず声を上げる。
もちろん、選挙にも行く。
たとえ、自分が投票した候補者が落選だったとしても、どんな未来にしたいのかの意思表明をすることが大事です。

6年間の保育園生活ももうすぐ終わりです。

小学校に上がったら、また別の難しさが出てくることでしょう。

今の自分だから言えること、見えることを発していくことを怖がらずに。
これからもジタバタしながら暮らしていきます。

……待機児童問題を考えるバトンとしての主旨にあったかどうか謎ですが、バトンを次に回す人もいないので、やってみたい方は勝手に受け取って行ってください。

なお、国立大学卒で本採用の教員経験も2年ある夫が、なぜヘルパー2級からの介護職に転職したか、というのは、移住にからむまた長いお話しになるので、別の日に。

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