'90年代生まれに伝わらなさそうな'90年代の遠距離恋愛の話し


LINEもSkypeもSNSも、そもそもスマートフォンも携帯電話もなかった90年代半ば。

その頃に、わたしは東京で北海道に住む彼氏と、いわゆる遠距離恋愛をしていました。

90年代生まれの若者たちには想像もしてもらえなさそうな、スマホの無い時代。
しかも、当時ではあまりなかった共同生活(ルームシェア)もしていました。

連絡も、プライバシーを守ることも難しい中で、どんな風に約3年半の遠距離を続けていたのか、書いてみましょう。

基本は文通でした

手紙を書くこと、ずいぶん減りましたね。

わたしたちは、基本的に文通で近況報告をしていました。
もちろん手紙ですから北海道⇔東京は届くまでに2~3日かかります。
すぐに返事を書いて投函しても往復一週間。

わたしはそれなりにかわいらしいレターセットを使ったり、手書きでイラストや飾りを添えたりしていましたが、そういうことに無頓着な夫は 事務封筒にレポート用紙 でした。さすが学生。
レポート用紙はルーズリーフだったので、そのままとじてあります。

内容は近況報告や、仕事のグチや、共通の趣味(プロレスとかTRPGとか)の事など。
時差があるので、悩み事など落ち込んで書いて送って、相手が読んで返事をくれる頃には、すっかり解決してたり忘れてしまっていたりしました。寿限無か!
リアルタイムに連絡できないと、かまってちゃんもできませんね。

手紙にテレホンカードを入れてもらったりも

わたしが東京の劇団に入ったのが20歳。
劇団本部のすぐそばにある20代の女性劇団員たちが住む古いアパートに、布団と衣装ケースだけ持って入居しました。

たしか6畳+3畳の和室がつながっていて、台所が2畳くらい。
そこにわたしも入れて3人で暮らしていました。 トイレは和式で、お風呂無しでした。
銭湯通いの日常なんて、70年代生まれのわたしたちだってそうそう経験してません。

電話はあったけれど、なにしろみんなで1つの部屋なので、会話はダダ漏れです。
彼氏との電話などできるはずもありません。

そんなわけで、近くの公衆電話から彼のアパートに電話をしていました。


少なくなった公衆電話

少なくなった公衆電話


それも、ほとんど自由に使えるお金がなかったので、学生の彼からテレホンカードを手紙に同封して仕送りしてもらっていました。
1,000円のテレカが20分で消えましたね。

住処は東京の小金井市にありましたが、地方公演の制作の仕事になるとその地方事務所で半年~1年くらい共同生活しますし、旅公演につくと毎日居所が変わるので、このテレカ作戦はずいぶん後まで続きました。

今ならどんなに遠くてもLINE電話とか架け放題プランで無料で話せるし、Skypeやハングアウトでビデオ通話もできるのにね!

3年目ぐらいからPHSを持つように

最初に入ったアパートは神戸の震災後に「耐震基準を満たしていないから」と大家さんが経営を止めてしまい出ることに。
劇団が持っていた若手寮兼大道具倉庫に引っ越しました。

そこではみんな6畳間の個室がありましたが、やはり風呂は無く、電話は通路にピンクのコイン電話がありました。

その頃にはもう開き直っていたので、彼から電話を架けてもらって通路に座り込んでしゃべっていたりしました。先輩たちありがとう。

そして、少しずつ流通し始めていたPHSを持つようになりました。
当時はDDIポケット。
その後、ウィルコム、Yモバイル、と名前を変えていますが、今も残っています。
なお、今も当時の電話番号とメールアドレスで使い続けています。
今(2016年6月)契約情報を見たら、19年5ヵ月目でした。長い!

PHSは携帯(ムーバ)より先に普及して、大人はその後に出てきた携帯に移行する人が多かったけれど、通話料が安いから高校生に人気でした。
もちろん、お金の無い劇団員にもちょうどよかったですね。
後には旅先でノートPCのモデムに使うことも多かったです。

ともあれ、自分専用の電話回線をようやく手に入れたので、お財布と相談しながらこちらから架けたり、彼から架けてもらったりしていました。
まぁ、3年目だともう彼が社会人になっていたので、架けてもらう方が多かったです。
通話代が何万もかかっていたとか。ありがとうありがとう。

(今ならスマートフォンも格安SIMだと20年前のPHSより安い…。)

年に数回の逢瀬は待ち合わせ場所を決めて

すべてが手紙や電話というわけではもちろんなく。

彼が連休に北海道から会いに来てくれたりもしていました。

彼は携帯を持っていなかったので、ちゃんと待ち合わせしていましたね。いやぁなつかしい。
会うところを具体的にちゃんと決めないと、東京の人混みでは会えません。

今なら、「どこにいるの?」ってすぐ電話して聞けるから、アバウトな時間と集合場所にすることが増えました。

そして、…後楽園ホールや東京ドーム、横浜アリーナなどでプロレス観戦をしたりしてました。

十中八九ダメになると言われたけれど

結局、その後、彼は最初に勤めた仕事を辞めて、劇団が活動停止したり住処も無くなりそうで迷っていたわたしのところへ来てくれて、長い同棲暮らしが始まったのでした。

その後も、わたしは再出発した劇団の仕事で東京のアパートにいなかったり、北海道事務所配属になったりして、青森に帰ろうとした彼を呼び止めて北海道で結婚することになったのだけど、それはまた別の話し。

20年経って…

そして、今はこの通り彼の故郷である青森県弘前市で、子育てをしつつフリーランスの事務代行屋をしています。

ネット使いまくり、19年以上契約しているPHSも、格安SIM挿したスマホも、タブレットもPCも使いまくり。

今どこ?
お腹空いた。
何食べようか?

どこにいようと簡単にやりとりできる時代。
ビデオ通話やチャットも簡単に、しかも無料でできる時代です。

航空券も高速バスも格安の業者が参入して、大手も値下がりしました。

さて、そんな現代は遠距離恋愛も簡単なのでしょうか?

遠距離に限らず、絶えず相手とリアルタイムでやりとりができ、相手が「既読」したかまでわかる今は、気持ちも20年前より簡単に通じ合っているのでしょうか?

このあたりは逆に90年代生まれの恋人たちに聞いてみたいところですね。


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