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TRPG Room

はじめてのTRPG

キン肉マン vs 魔王 with きせかえ人形

 わたしがTRPGらしきもので遊ぶようになったのは、12歳くらいのことでしょうか。見方によればそのずっと前からしていたのかもしれません。

 北海道の小さな町で草原を駆け回るガキ大将少女だったわたしは、弟がキン肉マン消しゴムで遊んでいるのによく参加していました。
当時、相撲熱にとりつかれていた弟は、キン肉マン消しゴム(以下キン消し)やウルトラマン怪獣消しゴムでトントン大相撲大会を毎日のように開いていました。
それを野次馬根性で見ていたわたしが、紙製の小さな着せ替え人形でもって乱入して、いわばおままごとのような状態でごっこ遊びが始まりました。
リキシマン対ゼットンの相撲を応援する少女マンガタッチの着せ替え人形。シュールです。しかし小学生の想像力はそんなことは気にしないのです。

さて、それがTRPGらしきものになっていくには、もう何回かのレベルアップが必要です。
最初の一歩はなんといっても、ドラゴンクエストでした。
やっとファミコンを買ってもらったばかりのわたしは、近所の男の子たちとゲームの情報交換に熱を上げていました。
友人の家で初めて遊んだドラゴンクエスト。タマネギ型のスライムと戦う画面が夜ごと目に浮かび、おこずかいとクリスマスプレゼント権利などを行使して手に入れました。
もともとなりきりごっこ遊び大好きなわたしです。頭の中に勇者が剣と魔法を駆使して怪物を倒す情景が浮かび、はまりこんでしまいました。
そうなると、トントン相撲大会だったキン消しの世界に、ドラゴンやらキメラやらが登場し、舞台はいっきに中世風ファンタジーの世界へ。キン肉マンたちの敵はウルトラ怪獣から魔王一族となったのです。
その戦闘方法はいたって原始的。キン消しと、怪物を直接ぶつけあわせるのです。ちなみに怪物の駒(ユニット)は、自分で紙に描いたり、ファミコン雑誌の記事から切り抜いて作りました。
そのうちわたしも女勇者や魔法使いキャラを作るようになり、自作の着せ替え人形ユニットが加わりました。
しかし、この方法には大きな欠点があります。
まず、戦闘の決着がプレイヤーの力関係によって決定されること。簡単に言えば姉のわたしが「この悪魔はここで負けない」と言えば、負けないのです。それが姉です。
次に、ユニットの損傷が激しいことです。子どもとはいえ、力任せに紙人形やゴム人形をぶつけあわせてはいけません。お気に入りのキャラの首がもげ、足が折れてしまうのです。
これらを乗り越えるために、わたしたちはこの遊びに公正なルールを導入することにしました。

ゲームへのレベルアップ

 1980年代後半といえば、なにげにボードゲームがブームとなっていた時代。毎月玩具メーカーからは、アニメとタイアップしたボードゲームや、コンパクトな「パーティージョイシリーズ」など、たくさんのボードゲームが発売されていました。
 その中のひとつのお気に入りに本格的なファンタジーボードゲームがありました。名前をもう忘れてしまったけれど「幻獣」という単語が入っていたはず。パーティージョイサイズと、大型判と両方買っていました。フィールドタイルを組み合わせて、そのうえにモンスターカードを置いて、プレイヤーキャラクターはそのモンスターを倒しながらレベルアップして、聖剣を手に入れてドラゴン退治を目指す。タイルの組み合わせ方で、遊ぶたびに自在に地形をつくることができるゲームでした。小さな町ですからもちろんスーパーのおもちゃコーナーで買えるものです。今思い返してみても、けっこう優れたファンタジーボードゲームでした。制作者はどんな人だったのやら。
その戦闘システムは、サイコロを振って、5、6が出たら反撃を受ける、そのダメージはモンスターカードに記載されている。というもので、プレイヤーキャラクターにヒットポイントがありました。
さあ、これだ、とそのルールを取り入れて、キン肉マンたちのキャラクターシートができました。といっても必要なのはヒットポイントと、サイコロの出目ごとの攻撃方法とダメージ。メモ一枚程度のシートです。
そうして戦闘場面ではサイコロを振って解決するようになって、ユニットは悲惨な状況を免れるようになりました。

「D&D」という単語を知る

 わたしと弟のファンタジーゲームへの傾倒はそれだけにとどまりません。
ファミコン原作のゲームブックが文庫や新書版で書店に1コーナーできるような頃です。町の本屋に「ドラゴンクエストのゲームブックください」と注文して、取り寄せに2ヶ月以上もかかる中、待ちきれずに自作のゲームブックを書き始めました。
そこで、参考資料として、「RPG幻想辞典」というソフトバンクから出版されていた単行本を購入したのです。
それは、様々な神話やファンタジー小説に登場するモンスターや魔法の辞典で、TRPGの紹介もされていました。当時は「ボードゲーム」と呼ばれていましたね。ファミコンならば行動を選択することしかできないけれど、ボードゲームなら行動を考え出すことができるということがとても魅力的でした。
とはいうものの、弟と付属ゲーム「アルビオン」をプレイしたときには、適当に洞窟をウロウロしてエンカウント・モンスターと戦って、お宝を稼ぐという遊び方をしていました。GM用の情報も読み上げていたりして、遊び方についてはよくイメージできていませんでした。

ハマリ始めは手当たり次第

 そのころ都会ではTRPGブームが起こり始めていました。「ロードス島戦記」をいとこの兄さんから借りて読み、「ウォーロック」と「ドラゴンマガジン」を、書店取り寄せで購入していたわたしは、いつか本物のロールプレイングゲームをしてみたい、と熱望していました。
その情熱は、たとえばいっしょに草原をかけまわりチャンバラごっこをしていた少年たちを相手に、「ブラッドソード」という多人数プレイ対応のゲームブックや「T&T」の「カザンの闘技場」で遊んだり、ボードゲームやゲームブックを次々と制作することに費やされました。なにしろ不登校していたので、時間はいっぱいあったのです。
ですから、札幌に引越をしたときは、ポストホビーで本物の「D&D」を見たときにしみじみと都会に来たと実感したものです。
初めてポストホビー主催のTRPGコンベンションに参加したときは、前日の夜から緊張と興奮のあまりほとんど眠れませんでした。そこでプレイしたのも初めての「D&D」。思えばプレイヤーとして遊んだのは、あれが初めてでした。

いつの間にか「ベテラン」に

 その後のわたしは、一人でコンベンションに通い、誘われるうちにソードワールドのキャンペーンに参加し、サークルに入ってコンベンションスタッフになったりして、GMの方が楽しめることに気づいたころには、すっかりTRPGが生活に定着していました。
 TRPG歴10年を超えた近頃では「ベテラン女性ゲーマー」と呼ばれて面食らったものです。わたしにとってのベテランとは、札幌で初めて「D&D」をしたときに会ったような、シミュレーションゲームからTRPGを始めたというお兄さんたちでしたから。
 はじめてTRPGをしたというのは、あのコンベンションのときと考えていいものか、それとも弟とボードゲームのルールを取り入れて遊んでいたときか。それは、何をTRPGの基準として考えるかで違うのでしょう。演じることにルールがついてきたわたしのやり方と、ゲーム(ルール)で遊んでいるうちに演じることが発生してきた人とは、まるで逆の方向から来ているようですし。
 でも、たとえ定住できない生活になって一年に一度しかセッションの機会がなかったとしても、TRPGについて考えることが楽しいわたしは、やっぱりTRPGが好き!なのです。


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