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Beyond Roads to Lord

ホシホタルの夜祭り

著・門倉直人 (RPGマガジン 1990年7月号掲載)

 僕がその老人を初めて見たのは、苦渋に満ちた学問の旅を終え、故郷に帰った朝だった。初夏を迎えた故郷の村は家々を取り囲む大小の樹木、なだらかにうねる丘々の緑も濃く、いつもと変わらない平和な光景で僕を迎えてくれた。 ―― ただ人々の浮かぬ顔を除いて。

 人々は変わったようだった。疲労、嘆息、そして何かを恐れるような不安に満ちた目つき……、わずか数年の留守の間、人々が僕だけをおいて数十年も先に老けてしまったように見えた。

「ああ、帰って来たのか。 ―― で、どうだった?」

と、顔見知りの村人は僕にたずねてきた。が、僕の返事を待つこともなく、かってに首を横に振り、嘆息を一つつくと、次の瞬間には決まってこう言うのだった。

「 ―― だめだったんだろ? そうに決まってる……」

 無論、村人の言うことは正しかった。しかし、だからといって、こっちの返事も聞かずに (たとえ僕自身が浮かない顔をしていたとしても) 勝手に決めつけることはなかろうに!

 二・三人続けて同じことが繰り返され、いいかげんうんざりした気持で兄の待つ自分の家の前に来た時、家の前の石段にしゃがみこんで、村の子どもたちを前に弁舌をふるう老人と出くわした。

「 ―― さあさあ、いいか、君たち! 次の物が今朝、“蛇のしっぽ川”の河原で見つけてきたものじゃ。 ―― その時、ちょうど地平線から、いや、正しくは東ヶ丘の“ふたまた大翼樹”の間から太陽が顔を出し、一筋の金の光が河原に射し込んでおった! その最初の光が照らしたのが、これ、この赤くて白い縞模様の入った石じゃ!  ―― さて、さて、これはいったい何じゃろう?」

 老人の問いかけに、子どもたちはたちまち大騒ぎを始めた。

「 ―― 火竜! 火竜の卵じゃないかな」

「違う、違う! 赤髭小人がお嫁さんに送る“お守り”よ!」

「何を言ってんだい! 僕は知ってるぞ、こいつはな……、ええっと……、 ―― こいつは赤いトロルのうんちだ!!」

「 ―― ただの丸石だよ! どこにでも転がってるやつだ。たぶん元はナルシオンの赤石で、川が運んできたものだ。こいつは、そのカケラ。川に運ばれて来る間に角が取れて丸くなったんだ」

 僕がさっきからの憂うつな気持と早く家の中に入りたいのとで多少イライラしながらこう言うと、老人と子どもたちはさっと顔を上げ、僕をじっと見上げた。

「えーと……、早く家に入りたいんで、ちょっと通してくれないか」

やや気まずさを感じ、僕は少々言いわけするように付け加えた。

「 ―― ここは僕の家なんだ。三年ぶり、いや、正確には三年半ぶりの実家なんだ」

「 ―― これは、これは! 失礼した!」老人は笑いながら腰を上げた。

「それ! 知恵ある子どもたち! 今日はしまいじゃ!  ―― ああ、待ったリュウノアゴヒゲ! ほら、トロルのうんちはお前のものだ」

 老人がやかましい子どもたちを追い払うように手で “ しっ、しっ”をすると、子どもたちは騒ぎながらも家の前から散っていった。リュウノアゴヒゲと呼ばれた少年は、老人のくれた赤石を大事そうに片手に握りしめると、一目散に坂道を走っていった。 ―― 数人の子どもたちがその後をバラバラと追っていく。

「 ―― トロルのうんち……」

呆れるようにつぶやく僕を、老人は面白そうに眺めた。

「正しくは、正確には ―― こういった言葉をわしらは少々使いすぎじゃな !? さて、正しくはだ、あの赤い丸石はトロルの親指の先だったものだ。白い縞模様は爪と骨の残骸よ。大昔、闇がこの世界の大部分を支配しておった時、勇敢な者たちは山の中などに隠れ潜んでよく戦った。ナルシオンの東側でも何度となく戦いがあった。……あの丸石は、その時切り取られて川の中に落ちた、赤い岩山トロルの親指じゃった。岩山トロルは朝日を浴びて石化したが、流れる川に落ちた岩山トロルの親指は、石化することも再生することもなく川底を移動し、何かの拍子にここの河原に打ち上げられ、その上を土砂が覆った。川の流れがあまりに近かったので、指は再生することもなく ―― 精霊の力など、ある種の魔力が、流れる水の近くでは妨げられることは知っとるな?  ―― かと言って腐ることもなく、長い年月がすぎていった……」

「それで?」

バカらしいと思いながらも、僕はいつの間にか老人の語る話しに引き込まれていたようだ。

「ふむ、そう、夜明け前のことじゃった。腹を空かせた川ネズミが、河原をクンクン嗅ぎまわりながら朝飯を探していた。いつものように上手く獲物が見つからなかったのか、あるいは喰い意地の張ったネズミだったのか、とにかく河原を荒らしてまわった。そしてトロルの親指を見つけた。川ネズミに考える頭がどの程度あったのか、わしにはわからん。 ―― が、川ネズミがトロルの親指を置いた場所は、まぎれもなくその河原で太陽の光 ―― オザンの瞳 (註1) ―― が最初に射すところだった。 川ネズミに言葉が話せたら言っとったかもしれんなあ、 ―― 怪しいものを見つけたら、まずオザン様に見てもらうのが一番 ―― とな。とにかくバカでかいトロルも生き残った肝心の親指は最後の最後にゃ小っぽけな川ネズミにしてやられ、まあ“トロルのうんち”程にしか、当のトロルにゃ役に立たなかったわけで……、リュウノアゴヒゲの言ったことも当たらずと言えども遠からずじゃ」

「……あなたは、なんでそんなことを御存知なんですか」

 僕は(ついに今では家に入ることも忘れて)老人にたずねた。

「えっ?  ―― そりゃあ、さっきリュウノアゴヒゲが教えてくれたからじゃよ」

 僕は今まであった顔なじみの村人がしたのに負けない程の嘆息をした。 ―― 気が変だ。

 力なく笑って老人に別れを告げた後、扉を開け、ほこりっぽい我家へと入った。

 数日間は何もする気が起きなかった。兄はいなかった。隣村の娘と結婚し、そちらの方へと移住してしまっていた。簡単に(ごく事務的に)書かれた置手紙には、ここでの商売が上手くないこと、僕に残した財産のことなどが記されていた。しかし、この簡単すぎる手紙にも、この村を自分が出て行くことへの本音がうかがえた。

―― それによれば、医者である兄は、自信を失くしたのだ。一つは、自分より若く、優秀な医者が村を訪れ、住みついたこと。もう一つは自分が大事にしていた近所の一家を病から救うことができなかったことによる。

「その病は私が今まで一度も診たことない奇妙なもので、最初の症状は風邪によく似ていた。しかしかすれた嘆息のような咳を特徴とし、心身の衰えが続いた後に長い昏睡に陥る。しきりに寝言を繰り返し、遂には衰弱死に至る……」

と、兄は書き記していた。

「 ―― 結局、自分はただの薬医にすぎなかった……」

 兄の叫びは、そのまま僕の叫びでもあった。たちまち数年間の苦渋に満ちた旅 ―― “薬医”から“呪医”になるための勉学の旅が眼前に蘇った。 ―― 僕は、才能のない、……落伍者だった。

 この“萌黄色の国(註2)”では、イニアの花咲く古より、医術を行なう階級身分が諸々の身分を記した『花翼典範(ファルナルアウォン)(註3)』の中に三段階に定められていた。その第一が“薬医”と呼ばれる者で、「普通の病」を薬を使って癒す者を指す。二番目は“呪医”と呼ばれ、彼らは「普通の病」を薬で癒し、「普通じゃない病」 ―― 呪いや、心身の著しい変形をともなうような病気 ―― を、魔法の力を借りて癒す。そして最後が“仙医”と呼ばれる者で、何人かの死者を蘇生させた実績によって与えられる位階だった。 ―― この上には、“想医”という最高の位階があると云われるが、これがどういうものなのかは伝えられていない。『花翼典範』にも、そのことは説明されていない。

 しかし、いずれにせよ、この“薄暗がりの時代”には、ほとんどの医者が“薬医”で、“呪医”の位階の者はほんの少数だった。“仙医”がいるなどという話はついぞ聞いたことがなかった。

―― しかし、“薬医”である者にとって、“呪医”になりたいという気持だけは昔も今も変わらず共通した願いだった。そして僕も“薬医”から“呪医”になるべく、ストラディウムという大都市へ修業の旅に出て ―― 失敗した。知識はあった。が、魔法のイメージを感じ、これを組み立てて用いることができなかったのだ。つまりは、僕に魔法の才能がなかったのだ。言い訳になってしまうが、しかし、頼るべき熟練した魔法使いを見い出すことができなかったのも事実だ。優れた魔法使いが活躍した古とは違うのだ ―― この“薄暗がりの時代”は。

 長いこと留守にした家の整理や、荒れ放題に荒れた庭の手入れをしている間にも、例の老人や子どもたちは僕の家の前にやってきて、他愛の無いやりとりをし、僕をいらだたせた。

「 ―― さて、この青くてキラキラするカケラは何じゃろうな?」

「水妖(ウンディーネ)が魚に贈る贈り物だ!」

「だめだめ! 雨雲人の骨のカケラだ!」

「わしが今日見つけた物は、これだけじゃ。 ―― この中に精霊の卵はあるかのう? なに? 無い!? ……そいつは困ったのう。緑星の精たちの眠るカケラを捜しとるんだが……。では、誰か一緒に捜しに行ってくれる子はおるかな? よし、行こう。 ―― わしはきっと西の森のどこかに落ちてると思っとるんじゃ……」

 何日かたって僕は居酒屋に出かけた。 ―― ここは村の情報が集るところだ。僕は自分が“薬医”としてこの村でやっていけるかどうか不安だった。そのことを考え、判断するには、新しく村にやって来たという商売敵のことを聞いておかねばならない。

 ちょっと安心したことに、村に来たのは“呪医”や、それ以上の医者ではなく、自分と同じ“薬医”であった。 ―― しかも最近評判を落としているらしい。兄が治せなかった例の奇妙な病 ―― 眠り込んだまま衰弱してしまう病を、彼も治せなかったのだ。僕の心の中に希望が蘇った。 ―― もし、僕にその病が治せたら……。

「 ―― だめじゃよ、だめ。おまえさんの考えることはわかるが、おまえさんの腕じゃ、あの病は治せんよ」

 居酒屋の暗い片隅から突然声をかけられ、僕は椅子から転げ落ちそうになる程、びっくりした。そこにいたのは“音聞き”と呼ばれる占い婆さんのオトロ婆だった。

「 ―― なんだ、オトロばあさんか」

僕はこのオトロ婆のつぶれた目(註4)が子どもの頃から気味悪く、怖くてしょうがなかった。

「あれは呪いの一種よ。 ―― 普通の者にゃ治せん」

と、オトロ婆は不吉な声で言った。 ―― オトロ婆はたいてい陰気で不吉なことばかり言うので、村の人間は皆、気味悪がっていた。

「 ―― 昔、闇の勢力が荒れ狂った時の前にも、同じような病が流行ったと聞いておる。闇の勢力は、その攻撃の前触れとして、あの病を夜の闇に運ばせるのよ。月の出ない夜、新月の夜に病の威力は最高潮に達し、多くの村が滅んだのさ」

 居酒屋の中は静まり返った。 ―― オトロ婆が嫌われるもう一つの理由は、その不吉な予言がほとんど的中するからだった。

「し、しかし助かる方法はどこかにあるんだろ?」

僕は自分の声が震えるのを恥ずかしいと思う余裕すらなかった。

「明りを宿した村は助かる」

オトロ婆は素気なく言った。

「 ―― しかし、ただの明かりじゃだめじゃ」

「ど、どんな明かりで……」

居酒屋のおやじが怖る怖るたずねた。 ―― 僕はおやじの声が震えているのに、少し救われる思いがした。しかしそんな思いも、オトロ婆の「知らん」の一言で、どこかに吹き飛んでしまった。

 僕は居酒屋の気まずい雰囲気を招いたのが自分のような気がして、なんとか話題を変えようとした。そこで、自分の家の前で子どもたちを相手に下らないおしゃべりをする例の気のおかしい老人のことをたずねた。だが、誰もが不思議な程、その老人を思い出すのに時間がかかった。そして、決まってこう言うのだ。

「ああ! 昔、俺も同じことを誰かれとなく聞いたことがあるよ。そのう……、えーと、なんだっけな。 ―― とにかく昔から、この村で子ども相手に遊んどったそうだ。でも、別に危害があるわけじゃなし、何もせんでぶらぶらしてるだけだから、皆、気に留めんでいる内に忘れちまうのさ」

 “音聞き”の不吉な予言を忘れるように、その夜、僕はしたたかに酔った。ふらふらと危ない足取りで家の前まで帰ってきた時、石段に腰かけ、家の扉に背をもたらせかけて眠っている女性がいた。小柄でしなやかな身体に、緑の長い髪の毛が腰の近くまで波打っていた。 ―― その畏怖すべき美しさ! 月の光と影をまとった有様は言葉に表すすべもなく、恐ろしい怪異(あやかし)にでもあった心地がした僕は、酔いを醒そうと頭を激しく降った。

 ふたたび目を開けた時、石段に座っているのは、例の奇妙な老人だった。

「酔った上に、この月の光は危険じゃぞ」

老人は微笑みながら立ち上がった。 ―― 僕は化かされたと思い、気恥かしいのと、怖ろしいのと、少々腹立たしいのとで何も言うことができず、ただ間抜けにつっ立っていた。

「 ―― 夢を、見とった」

と、老人は目を細くしてつぶやいた。

「妖精王のリミンに恋したアウロン人の娘の話は知っておるか? ―― あの娘は綺麗な娘じゃった。大海に没したリミンの帰還を信じて、あの娘は、いつもエノンの森の小高い丘から、アウロンの海を眺めておった。アガルッドは、彼女を石に変えた。 ―― ただ、その瞳と魂だけは生かしたまま。それは長い、わしらには想像もつかぬ拷問じゃ。アガルッドはリミンを愛する者をことごとく憎んだからの。 ―― そして、リミンが愛する者を、さらに憎んだからの。あの娘の瞳は、くる日もくる日もアウロンの海の彼方をさまよった。今でもさまよっておるじゃろう。毎日、毎日、アウロンの沖を眺めるあの娘の瞳は、少しずつ、その青色を深めていく。 ―― いつか、その色がアウロンの海の色と同じになるまで」

 その時、ほんの僅かだが、痛みに満ちた一瞬を、僕は目の前の老人と共にした。

 僕は老人が手にする杖に気が付いた。 ―― それは緑の葉が生えている魔法の杖、精霊想樹の枝だった。

「魔法使い……」

僕は思わずつぶやいた。 ―― 僕があれほど欲して止まなかった魔法使いの杖(しるし)を持つ者が、ここにいる!

「おまえ、名前はなんと言う?」 と、老人が尋ねた。

「シテラ……。 ―― シテラ・クスト」 僕は名乗った。

「 ―― シテリー・ラ・クスト……? “ホシホタル”、ホシホタルじゃな?」

老人は面白そうに僕の名を何度も繰り返し、じっと顔を眺めた。

「ではホシホタル。 ―― あんたは魔法を知りたいんじゃな? なら、良いことを教えてやろう。 ―― より小さく、より大きく。これが魔法じゃ」

老人はこう言うと立ち去っていこうとした。

「 ―― “ホシホタル”? それが私なのですか?」

僕は老人に追いすがって言った。

「? むろん、おまえはおまえ自身じゃ。そして魔法を身に付けたいと願っておる」

と、老人は静かに言った。

「じゃが “ シテリー・ラ・クスト ” は “ ホシホタル ” じゃ。わしが知っておるのはこれだけじゃ。星、ホタル、酔っぱらい、月の光、不吉な予言、呪われた病、闇、嘆息、眠り、そして死じゃ。 ―― 他には? 集い、散らばり、揺れ動きながら模様を描く。沈黙と静寂の内に囁かれる歌物語がある。 ―― 思うことで惑わされることがある。クモを見て、クモの巣を思うことはできる。しかし、そのクモの巣に夜露のついたのが月光のもとで見せる有様の全体は? 魔法は、より小さく、より大きく顕れる」

 僕は老人を追うことはできなかった。彼は夜の闇の中に消えた。

 翌朝、夜明け前に目を覚ました僕は、“蛇のしっぽ川”の河原へと出かけた。もちろん、昨夜の老人に会えることを期待していたのだった。だが彼はいなかった。西の森にも行ってみたが、やはり無駄だった

 仕方がないので、昼過ぎになって自分の家の前に老人と子どもたちが現れるのを待つしかなかった。

「さてさて、昨夜、わしは“熊岩”の岩穴へとそっと入り込んだ。

(ここで子どもたちは“すげえ”とか“こわい”とか大騒ぎを始めたので、老人は不本意ながら話をしばし中断しなくてはならなかった)

―― で、じゃ……。おや、今日はミサキカモメが来ておらんな」

 老人が“ミサキカモメ”と呼ぶのは、村の東に住む女の子だった。確かに、いつも見られる彼女の姿が、今日は見当たらなかった。

「ミサキカモメは外に出ちゃいけないって言われているんだ。 ―― 家の人が病気になったから……」

リュウノアゴヒゲが言った。

「なんだって!」と、老人が目をむいた。

「そりゃいかん! わしはまだ、あの子にゃなんにもやっとらんのに!」

老人は急に立ち上がると、スタスタ歩き始めた。

「リュウノアゴヒゲ! ミサキカモメの家を案内せい!」

 ミサキカモメは泣いてはいなかった。むしろ、気味の悪い程に平静な顔をしていた。だが新しく村に来たという薬医は苦虫を ―― それこそ十数匹くらいは ―― 噛みつぶしたような顔をしていた。

「父さんは」と、ミサキカモメは薬医に言った。

「 ―― まだ眠っているだけだからいいわ。でも、母さんは死んじゃったみたい。 ―― 助けられないの? ずっと昔のお医者様は、死んだ人でも助けてくれたって聞いたことがあるわ」

「助からぬ」と、その薬医は素っ気なく言った。

「可哀想だが、おまえの父もな。 ―― この病は、私でも治せん。闇の使徒が闇夜に乗じて運んでくる呪いなのだからな。“仙医”でもおれば別だが……、あるいは魔法使いがおれば……」

「魔法使いなら、ここにいる!」

と、僕は思わず叫んでしまっていた。

「 ―― この老人の杖が、その徴だ」

 薬医はびっくりしたように僕と老人を見、そして老人の杖に目をやった。彼の顔に一瞬、畏れと羨望の表情 ―― “呪医”になれない“薬医”なら、たいていの者が魔法に対して抱く、複雑な感情 ―― が浮かんだが、すぐにそれは皮肉な笑いに変わった。

「なるほど」と、その薬医は言った。

「それは心強い……。では、この呪いは解ける。 ―― 新月の夜に、この村の全体が、魔法の明りで満たされるのならな」

「どうやら」と、初めて老人が口を開いた。

「あんたは、わしにそれができるかどうか、疑問に思っとるようだな。……そうかもしれん。村全体を魔法の光で満たすなど ―― しかも普通の闇でなく、デュラの魔王の息である闇を照らすなど、 ―― 松明一本程の明りでも大変な力が必要であるからの……」

「何を言っているんだ」

僕はいてもたってもいられない気持だった。 ―― もう失望はたくさんだ! 

「あんたならできるよ! なあ、じいさん、何のための精霊想樹の杖だ? その杖さえあればミサキカモメの母さんを生き返らすことだって……」

「無駄だ!」 薬医はたたみかけるように言った。

「彼女はつれあいの病に絶望して、自ら先に命を絶ったのだ! たとえこのご老体に“仙医”程の力があっても無理だ。 ―― “仙医”ですら、自ら命を絶った者を蘇生させることはできない」

「黙れ!」 僕はもう我慢できなかった。

「生かし得ぬ者を生かさぬのは誤ちではない! しかし、生かし得る者を生かさぬのは誤ちだ! おまえは既に誤ちを犯した。この上、さらに誤ちを重ねようというのか !?」

僕はミサキカモメの方を指さした。

「 ―― なぜ、癒しある言葉か、さもなくば沈黙の祈りを与えることができぬのだ !?」

 薬医の顔はみるみるまっ赤になった。

「ならば、貴殿が与うるがよかろう!」

彼はそう声を荒げると、後ろを振り返ることもせず、すごい勢いで部屋を出て行った。

「ホシホタル……。 ―― なるほど、確かにホシホタルじゃわい」

老人は僕の方を見て不思議そうにつぶやくと、ミサキカモメの方に顔を向けて言った。

「さてミサキカモメや……、夜明けの寸前に、南の丘の上でみつけたものなんじゃが、これは、なんじゃろうな?」

老人は小さな丸い石のようなものを差し出した。

「イシ」 と、ミサキカモメがただ一言ポツリと言った。

ちょっとの間、怖しく、また重苦しい沈黙があったが、たちまち、いつもまっ先に反対意見を述べるリュウノアゴヒゲが騒ぎだした。

「違う、違う! ただの石が、こんなふうにチカチカ光るものか!」

 リュウノアゴヒゲが言うとおり、その黒い丸石には微細な粒が混じっており、光線の具合によって様々な色に瞬くのだった。

「ではリュウノアゴヒゲよ、おまえさんはどう思うのじゃ」と、老人は言った。

 リュウノアゴヒゲは、ちょっと困ったようにもじもじしたが、やがて

「……きっと、それはホシクジャクの精の卵だ……。むかし、ミサキカモメのおかあさんが南の丘で話してくれた話に出てきたから、 ―― 思い出した」

 ミサキカモメは興味深そうに、その石のようなものを手にとった。

「 ―― 思い出した。おかあさんがよく話してくれたもの。自分は死んだら、ホシクジャクの精のようなきれいな精霊になるんだって。でも、あの赤い目だけは怖いからいやだって言ってたわ」

「ふむ。 ―― なるほど……。もっとよく見てごらん」

老人がミサキカモメを促した。(僕も含めて)皆は目を皿のようにして、その石のようなものを見つめた。

「わかった! わかったぞ!」

リュウノアゴヒゲが叫んだ。リュウノアゴヒゲは驚く皆を得意そうに見廻すと、さも偉そうに説明を始めた。

「 ―― こいつはホシクジャクの精の卵じゃない。だって、どのチカチカも、赤くならないもの。ホシクジャクは黒い体に赤い目、そして翼を広げると、夜の星のようにチカチカと光るつぶ模様があって、その卵にも同じようなつぶ模様があって、いちばん強く輝くのは、その赤い目の色なんだって言ってたもの ―― ミサキカモメのおかあさんが」

「じゃあ、これはおかあさんかもしれないわ!」

ミサキカモメが早口で話し出した。

「 ―― おかあさんは、黒い目だもの」

「もしそうなら、なんで黒く一番輝かないんだよ !? チカチカが」

リュウノアゴヒゲが疑わしそうに言った。ミサキカモメは怒り出した。

「黒は……、えーと、黒は……、黒色が光るなんて、聞いたこともないわ!」

「あ ―― 、ホシクジャクだかの精の卵になったばっかりだからね、まだ目をつぶっているのかもしれないよ」

と、僕はいつの間にか子どもたちの議論に口をはさんでいた。

「見つかったのが南の丘で、君たちがその話を聞いたのも同じところだろ?  ―― 見つかった場所といい時間といい、ただの偶然じゃないよ。ねえ、じいさん」

「いや、ただの偶然じゃよ。 ―― しかし、意味のある偶然じゃなあ。これは君のじゃよ、ミサキカモメ」

老人はそう言って黒い丸石のようなものをミサキカモメに渡し、家を出て行った。

「 ―― 私は昨夜、あなたを捜しました。……しかし、見つけることができなかった」

僕は老人の背に向かって言った。

「 ―― 捜さずとも、出くわせばよいのよ」

 老人はそれだけ言うと道をはずれて木立の中へ消えて行った。

「残念だ」

振り向くと、ミサキカモメの家の陰から、例の若い薬医が現れた。

「いや、実に残念だ。 ―― ちょっと待て! さっきは我知らず興奮してすまなかった」

薬医は、そそくさと立ち去ろうとしていた僕を呼び止めた。

「あの老人の杖さえあれば……」 と、その薬医は言った。

「直接、この村に闇の息を運ぶものをたたくことができるのに」

「じゃあ、なぜ、あの魔法使いは、さっさとそうしないんだ?」

疑わし気に、僕はたずねた。

「怖ろしいのだ。命がけの戦いになるのが判っているから。 ―― 年をとる程、生きることに執着するようになると、よく言うだろう?」

  ―― まさか? 僕はあの老人が、そんな臆病だとは信じたくなかった。

「 ―― それに」 と、薬医は周りをはばかるように言った。

「あの老人、自分があと何回も魔法が使えぬことを知っていて、出し惜しみをしているのだ」

「そんな馬鹿なことが、あるはずない!」

 ふたたび込み上げてくる不快な気持を抑えきれず、僕は別れの挨拶も無しに、薬医に背を向けた。

 家に戻っても薬医の言葉が頭から離れず、僕は落ち着かない時を過ごし続けた。自分が命がけの魔法戦を魔物に挑み、村人が魔物と相打ちになって倒れた僕の亡骸を感謝の涙で迎えるシーンが頭の中にちらついて仕方がなかった。

「死を恐れぬ僕こそ、村を救うためあの杖を使用するにふさわしい」

僕は何度もつぶやいた。そして、ついに折を見て、あの老人の杖を借りることを心に決めた。 ―― ただし無断借用ではあるが……。村を救う為に僕が投げだす犠牲の覚悟を思えば、皆、後から納得してくれるにちがいない……。

 次の夜、僕の手には老人の魔法の杖 ―― 精霊想樹の枝 ―― が、あった。うまい具合に居酒屋を訪れた老人が、戸口に杖を置いたまま席を立ったのを見て、彼が帰ってくる前に杖を持って走り去ったのだ。

―― これさえあれば……。僕の心はいやがうえにも高揚した。これさえあれば、村を救うことができるのだ。 ―― もちろん、そのためには自分はどんな犠牲もいとわないつもりだった。

 小高い丘の上から目をつぶったまま杖をかざし、円を描くようにゆっくり歩く。僕の心の内に、不思議な光景が現れた。

―― 落下し、その身をよじるたくさんの蝶……。やがて、それらはつながり合わさってまだら模様の鎖へと変化した。鎖はのたうちながら、こんがらがって固まり、口から泡を吹いて暴れる狂犬へと姿を変えた。

―― こっちだ。僕はイメージの現われた方へと歩き始めた。夜とはいえ、もう夏なのに、身体にぞくぞくと鳥肌が立つ。 ―― しかし歩みを止めるわけにはいかない。僕は心の中にあるイメージを喚起しようと努力した。 ―― 金……、金色の炎……。心の中にそれっぽいイメージが浮かびそうになるが、遠かったり近かったり、あるいは一瞬の内に通り過ぎたり、なかなか固定しようとしない。

―― このようなときは呼んでやらねばならない……。

「ファ……、ニム・ファ! ネファー!」

 うまいぐあいにイメージが固定した。すぐさま、この心的イメージを手にした杖の先端に集中させ、解放する。

―― 杖の先に、小さな橙色の光が現れた。 ――

この場合、灯る光の色は、どのようにして決まるのだろう? そんなことを思いながら、歩き続ける。とにかく、夜道を照らすのに最低限必要な光は確保できたのだ。

 星を見て、時を計る。 ―― まだ闇の類の精霊が最もその力を増す時までには、間がありそうだ。

 僕はとっくに村境を越え、村の北東に広がる森の中へと足を踏み入れた。この先には沼が点在し、危険な所だったが、不思議な自信が僕の歩みを先へ先へと進ませていた。

 やがて僕は、砂に半ば埋もれた廃墟へとやって来た。この湿っぽい地にあって、その廃墟を覆う空気だけは、妙に乾いていた。 ―― 明らかに、ここには魔法的な結界が存在するのだ。僕はその結界を越して廃墟に足を踏み入れようとしたが ―― 無駄だった。足が砂に触れようとするところから、どうしても先に進めないのだ。

 僕は廃墟の周辺を空しくグルグルと廻った。しかし、どこかに隠された入り口があるはずだ。

 僕は廃墟の北東の縁にまたがる、大きな枯木に注目した。精神を集中させ、心の中に動く荷車と、その荷台にとまる一羽のツグミをイメージした。イメージが現れ、これを直ちに眼前の枯木にぶつける。 ―― これは隠された門と、その鍵についてのヒントを探るためにしばしば用いられた魔法だと、ストラディウムの修業時代に学んだことがあった。もし、この廃墟に至る鍵、あるいは門の一つがこの枯木であり、その隠され方がそう難しく巧妙なものでないならば、いずれ何らかのヒントが与えられるはずだ。しかし、同時にバックファイアーに気をつけなくてはならない。 ―― この方法が、昔、良く使われた探知の魔法であるということは、それだけ、その魔法を予測して仕掛られた守りの魔法が存在する可能性が高い、ということだ。

―― 僕は密かに自身を守る守護の魔的象徴(シンボル)“山”や“馬”、“ちぎれる鎖”、“白の力”、“青の力”をいつでも思い起こせるように準備した。

 幸いなことに、恐れていたバックファイアーは現れなかった。代わりに、僕の心中に、吟遊詩人のイメージが現れた。彼は上向きの五芒星形のランプの下、緑色の木で造られ、銀色の弦を張った竪琴をつま弾いていて、妙に四角く小さな赤い台に腰かけていた。 ―― このイメージは、明らかに探知の魔法に反応して現われた手がかりだ。

 僕は枯木の前を行ったり来たりして考えた。この様なイメージの解釈は難しく、経験の乏しい自分には、昔読んだ様々な古記録からの知識だけが頼りだった。

―― おそらく、と、僕は考えた。 ―― おそらく、複雑すぎる鍵(キー)ではあるまい……。一般的な探知の魔法に対して何の防護もほどこしていないのだから。“竪琴”を手にした吟遊詩人のイメージは、目の前の問題が、何かの組み合わせによって成り立っていることを示していると、どこかで読んだ覚えがある。銀色は月の光か、月そのものを象徴する……。上向きの五芒星形のランプは「より秩序化された知性」、「言語」などを現すのかもしれない。

そうか! 月光文字か! 僕は月に照らされた枯木の幹を丹念に調べた。

―― が、何もない。組み合せなのだ。単なる月光文字ではない。

―― 吟遊詩人の腰かけていた赤い台、妙に四角く不釣り合いに小さい台に着目せねば……。“赤”は大地、“四角”は物質、では不釣り合いに小さいということは?

 いくつか試してみたいことがあったが、僕はためらった。下手に試せば、やはりバックファイアーの可能性があった。悪くすれば、鍵は二度と僕に反応しなくなる。いや、それどころか、僕自身に何らかの忌わしい呪いがかかる場合もあった。

 しばらく熟考した後、僕は精霊想樹の杖で、足を踏み入れることのできない廃墟の砂を少々“こちら側”にかきだした。 ―― それはできた。非常に細かい、この砂を手にとり、枯木の幹になすりつける。 ―― すると、何たることか! 幹から落ちずに、糊でも塗ってあったかのようにくっついて月光を反射させる砂があった。そして、これらの砂は、まぎれもない古の不思議な象形を、幹の表面に浮きたたせてるではないか!

 現れているのは、古代神聖語だった。このような所に、未だに古代神聖語によって隠された門が残っているとは驚きだった。

 現れたのが古代神聖語だったので、僕は大いに畏れた ―― 古代神聖文字は、この時代にあっては、もはやほとんど、その読み方が判らなくなっていた ―― が、非常に幸いなことに、現れたのは、この時代にあっても、わずかに祈りの慣用句として読み方の残っているものだった。

「エル・アイ・ルワ!」 “ああ、無に非ざる調和(の現れ)よ!”

―― 古代神聖語によって封印されたものを解放する時の通例として、僕は目の前の文字を詠嘆形で(文字どうり歌うように)読んでみた。 ―― 古代神聖語は、その一文だけでは感嘆か詠嘆か、通常文なのかを区別することは難しい。

 しばらく待った。しかし何も起こらない。念のため感嘆形や通常の読み方もしてみたが、やはり何も起こらなかった。

 僕はふたたび、じっと文字を見つめた。 ―― まさか、“予言体”では !? しかし、見れば見る程、その疑いは濃くなった。文字の微妙なハネかたの違いが、古代神聖語の極めて特殊な記述形態 ―― 下から上へと書き上げていく形式 ―― を、示していた。

 僕は、どうかこの“鍵”である古代神聖語が、通音(ヌーン)に反応してくれることを願った。“予言体”が真音(ユーリューン)で発音されれば、それはもはや単なる予言ではなく、未来に対する強力な呪縛として作用することを知っていた(註5)。 ―― もっとも僕に真音が唱えられるわけはないのでその心配はなかったが、門が開かず、中に入れないことは同じだった。

「ルキー・イ・エール……」 “おお、無、そは調和に非ざりしものならん”

―― この新たな文句は不吉な印象を与えた。しかし、この文句と共に幹に張りついた砂は吹き飛び、一瞬、枯木が青白く光ったかと思うと ―― 消えていた。僕はその上を歩き、廃墟へと足を踏み入れたのだった。

 廃墟の中は、どこから発するのか、奇妙な青白い光が微かに満ちていた。僕は気配を殺し、魔法の光を消すと、物陰に隠れながら廃墟の中央をうかがえる所まで移動した。

 廃墟の中央 ―― 砂の広間の真ん中に、三人の黒っぽい人影が車座になって座っていた。彼らはなにかを砂で作っているようだった。人、食べ物、動物、草花、怪物、神々の像、城、木、山、得体の知れない様々なもの……。

―― どのような方法で作るのか、それらの“砂細工”は驚く程、見事だった。しかし、その内の多くが完成まであと一歩というところで、彼ら自身の吐く嘆息によって崩れ、無に帰してしまうのだった。すると彼らは、そうして崩れた砂を夢中でむさぼり喰った。やがて彼らは満ち足りたのか、立ち上がると、一団となって歩き出した。

 僕は頃合を見はからって後を追おうとしたが、その際、彼らが砂細工を作っていた場所に目をとめた。崩れずに未だ残っている幾つかの砂細工の中に、赤い岩トロルやホシクジャク、雨雲人などがあった。一瞬、僕の記憶に、あの老人と子どもたちのやりとりが蘇った。が、それ以上何かを考えている暇はなかった。 ―― 僕は黒い長衣を引きずって歩く三つの影を追った。

 不気味な黒衣の三人は村境までやって来ると、その足を止めた。そして奇妙な笑い声 ―― かすれた嘆息まじりの、しかし、どこか満ち足りた笑い ―― とともに、その姿を大気に徐々に溶け込ますような感じで、消えていった。その時、夜の闇は重苦しく、いっそう暗さを増したようだった。

 彼らが戻るのを待って、僕は木陰に隠れながら攻撃の為の魔法を準備すべく、様々な魔法の象徴を頭に思い浮かべた。

 まず“金色”のイメージ ―― 「火と熱、そして衝撃をもたらす力の司よ」、次に“炎” ―― 「形あるものとなり」、さらに“稲妻” ―― 「また、心霊たる力ともなって」、そして“鳥” ―― 「飛んで行け」……。

 これらのイメージ群を注意深く心の中に固定しながら、僕は彼らが戻るのを忍耐強く待った。

そして……、 ―― 彼らが来た!

 村境でふたたび形をとり始めた彼らに向かい、僕は先程のイメージを、急速に心の中に喚起させた“憎しみ”の気持、すなわち「そして破壊せよ!」という命令と共に解放した。

 杖をかかげた僕の前に、まばゆい金色の炎でできた翼持つ怪物が形成され、直ちに三人の闇の魔物に向かって空中を突進した。魔物たちは避ける余裕も無く、たちまち金色の炎に包まれ、一瞬の後に消え去っていた。 ―― 僕は彼らを打ち倒したのだ!

 すさまじい疲労感が全身を襲い、立っていることもできずに、僕は近くの木にもたれ、しゃがみ込んだ。魔物がいたあたりの地面では、下生えに少々引火した炎がチロチロと燃えていたが、やがてそれも消えた。

 急速な寒さが襲ってきた。地面を見ると、驚くべきことに、霜が降りていた。 ―― ただごとではない! 周りをより暗い闇が包もうとしていた。木々の枝の影が伸び、むっくりと起き上ったかと思うと、僕の身体に巻き付き、その先は鋭い鉤爪のついた手のように四肢を掴んだ。肉が裂け、激痛に身をもがくにも、身動き一つできないように身体はがんじがらめだった。

―― とんだ虚けよ。

 目の前には倒したはずの影が立っていた。

―― そんな老いぼれの杖で、我らを倒せると思うとは。

 闇の魔物の表情は判らなかったが、その肩の揺れ具合から僕を嘲けり笑っているに違いなかった。襲いかかる恐怖と寒さと苦痛の為、僕は呪文を思い出すことも、魔法のイメージを心に捉えることもできないまま、ただ破滅を待つだけの自分に途方もない惨めさを感じるだけだった。

が、その時、

「オザンの、スーパーファイアーボール !!」

 やや調子はずれの叫び声と共に、黄色い火の玉が飛んで来た。 ―― 火の玉は空中で破裂し、大小様々な火の玉となって僕の囚われている周りに四散した。

―― また、馬鹿な魔法使いか !?

 闇の魔物の注意がそれ、僕は自分にかけられている呪縛が少し緩むのを感じた。

「ガルパニの、スーパーファイアーボール !!」

 ふたたび素っ頓狂な叫び声と共に、赤い炎の火の玉が飛んできた。闇の魔物は後退し、僕は残りの精神力と体力の全てを使って火の玉の飛んで来た方へと走り出した。

「早く来い! この盗っ人め!」

魔法使いの老人が叫んだ。

「あいつらは、すぐ戻ってくるぞ!」

 僕たちは走るだけ走って村の中を流れる“蛇のしっぽ川”を渡った。

「こ、こ、こ」 と老人は苦しそうな息の中で言った。

「こ……こまで、来れば……、大丈夫じゃ……夜明けも近いし……」

 僕は恥ずかしさで死にそうになりながら、老人から奪ってきた杖を差し出した。が、老人は僕の心配したように激怒もしなければ、盗っ人をカエルに変えるようなこともせず、黙って杖を受けとった。

「 ―― しかし、よう森が火事にならんかった」

 ややあって、老人は逃げ出して来た森の方を眺め、言った。

「びっくりしました。 ―― あなたは杖が無くとも、あんな火の玉が射てるのですね」

なるべく最大級の尊敬がこもるように、僕は言った。

「?  ―― ありゃあ、ただの石じゃ」

「え?」

「だから、ただの石ころじゃ」 老人の答えに僕は耳を疑った。

「居酒屋の親父から一番強い酒をひったくって ―― あんな酒は誰も飲まんから、ひったくったっていいんじゃ ―― 適当に拾った石ころにちょっと色つけの粉を振りかけて麻袋に詰め、それにひったくってきた酒をぶちまけただけじゃよ。 ―― あの手の魔物から見れば魔法で作った“ただの火”も酒(スピリッツ)で作った“ただの火”も一見区別のつかぬものらしいからな」

 僕はへなへなとそこに座り込んでしまった。 ―― しかし新月の夜まであと二日しかないのに、この老人はいったいどうするつもりなのだろう。

「よいか、魔法は“より小さく、より多きく”じゃぞ、 ―― 盗っ人」

 老人は得意そうにそう言うと、座り込んだ僕を置き去りにしたまま、いつものようにぶらぶらと丘の向こうへ消えて行った。

 翌日、村中の家々を魔法使いの老人は訪ねて廻った。

「大事な話があるんで、昼に寄合広場に集って下され。 ―― 例の流行病を退治するんで、皆の協力がいるんじゃ」

 翌日の新月の夜に流行病 ―― 闇の呪いが最も猛威を奮う、と“音きき”のオトロ婆から聞かされ、不安に気も狂わんばかりだった村の大人たちは、わらをもすがる思いで、こぞって広場に集まった。

「さて、皆さん」と、老人は(皆によく見えるように)酒樽の上に立ち上っていった。

「知っての通り、明日の夜は新月、すなわち闇の吐息が吹き荒れ、忌わしい呪いが成就してしまう日じゃ。これを避け、また、病に苦しむ者を癒す方法はただ一つ ―― 村に精霊の明りを灯し、村中をその明りで満たす以外にない……。 ―― そこで、わしは老いぼれの魔法使いじゃが、それでも全力を尽して、精霊たちを呼ぼうと思う。

(ここで数名の者から、おまえが魔法を使ったとこなど一回も見たことがないぞ、というヤジが飛んだが、老人は全く無視した)

 精霊を呼ぶことはできる。 ―― が、問題は、いかに呼んだ精霊たちを一晩中、村にとどめておくか、じゃ。そこで皆のものの協力が必要なのじゃが、正直なところ、どうしたら精霊をとどめておけるか、わしには判らん。

(たちまち失望と落胆と怒りのざわめきが起こった。しかし、老人はここでも全く動じなかった)

あー、うるさい、うるさい! 静かにせい !! ただ、これだけは言える。 ―― 精霊の灯火は、“映しだされるもの”を必要とし、欲するのじゃ。じゃが、どんな“映しだされるもの”が精霊の気に入るものなのか、わしが教えてやれることはない。そこで、一か八かに賭けるとして、明日の夜は、皆で夢心地のような気分で、精霊たちを迎えて欲しいんじゃ」

「すまんが魔法使いのじいさん」

“音きき”のオトロ婆がおもむろに口をはさんだ。

「おまえ様の杖には、若葉をつけた枝があと何本残っとるかね」

 魔法使いはじっとオトロ婆を見つめ、ちょっと間を置いて答えた。

「 ―― 一本じゃ」

「そうか……」

オトロ婆はわずかに思案した後、皆の方を振り向いて言った。

「 ―― 村を出て行くか、魔法使いの言うとおりにするか、二つに一つじゃ。 ―― あたしは、村に残るぞ。 ―― 今までで最も良い卦が出とるからの!」

  文句を言おうと待ち構えていた連中も、この言葉を聞いて、黙ってしまった。 ―― オトロ婆がそう言うなら間違いない。それ程、オトロ婆の占いは当たると信じられていたのだ。

「感謝するぞ、オトロ、今までで一番いいかげんな予言をしてくれたな」

皆がやや安心しつつ解散した後、魔法使いはそっとオトロ婆に言った。

「 ―― あたしも老い先、短いからの」オトロ婆はボソリとつぶやいた。

 夜だった。星が瞬いていた。闇が周りを呑み込み、地を這う。夜の空気は好きだった。その冷やかな、おしころした、しかし張りつめてはいないさま。一瞬の内にあらわれ、過ぎていく。

 老人がいた。僕は今宵、彼と出くわした。 ―― 待っていたわけではなかった。

 彼は何も言わなかった。僕は無言の内に、その後に従った。老人は時折、手を広げ、何かを抱くようなしぐさをした。また、手のひらを広げたり、握ったりもした。

「こっちだ……、こっちだ……」

老人は微かにつぶやき、腰からさげた小さな袋から何かをとり出し、杖でつついて造った穴に、これを埋めた。老人が袋からとり出したものは、何かのカケラのように見えた。 ―― あるものは小石の様だった。また、あるものは骨の破片の様だった。水晶のように透き通ったものや、金銀のようにキラキラ光るもの、薄汚い木の切れ端のようなものもあった。

「星が思い出すように……、ホタルが思い出すように……」

老人は取り出したものにそうそっと囁きかけ、根気良く作業を続けた。

「さて、あとは子どもたちにやってもらおう」

夜明けが来て、老人は初めて僕に向かって話しかけた。そして袋の中にまだ僅か残っている幾つかのカケラを手に掴み、僕に手を広げて見せた。

「 ―― この中に、ホシホタルよ、おまえが教えてくれるものはあるか?」

 僕は青紫色に透き通るカケラを手にして言った。

「 ―― これは、……これは、たぶん僕が……、決して忘れようとしたわけじゃないけど、思い出せないもののカケラだ……」

「では、それはおまえにやろう」と、老人は言った。

「 ―― それは、ホシホタルが、思い出そうとするカケラだ」

  ―― 新月の夜が来た。村人たちは皆、老若男女を問わず不安な面持ちで、自分の家の前に立ち、精霊が現れるのを待ち続けていた。

 老人は村の中の一番小高い丘に立ち、黙したまま深くなる闇を見つめ続けていた。

「星が」 と、誰かが言った。老人の立つ丘にある一本の木の梢を通して見える星々が大きくなったように見えた。

―― しかし、それらは星の光ではなかった。精霊の灯火が訪れたのだ。

 ホタルが舞うように、無数の小さな光の粒が空中を揺れ動き、飛んだ。ゆっくり、ゆっくり。妖しげに色彩を変え、灯火は一時もとどまらず、ふわふわと漂っていく。子どもたちが走り出した。 ―― 彼らはどこまで追いかけるのだろう。

 精霊の明りは気まぐれに集まり、気まぐれに散っていく。集った灯火は不思議な光景を次から次へと映しだし、子どもたちは歓声を上げて、その後を追った。子どもの親たちは、足がすくんで動くことができなかった。

 赤い岩トロルがいた。雨雲人の巨大な姿が現れ、次の瞬間にはふたたび無数の光の粒となって消えた。追うもの、追われるもの。追えるもの、追えないもの。

―― やがて村は精霊の明りで満たされた。家々の軒先、そして人々の髪の毛や肩、娘たちのたおやかな指先の一つ一つに精霊の灯火が灯った。ある者は畏れ、ある者は夢心地で立ちすくみ、また、ふらふらと歩き出した。

 火を吹き上げる龍がいた。憂いをたたえる妖精の姿があった。雷の中に現れる戦士、雲をつく巨人、奇妙な踊りを踊る小人たち、のたうつ虹色の蛇、耳を銀色に光らせて駆けるウサギの群れ、泉のほとりの一角獣、人魚の歌姫、花でつくられたローブをまとう角の生えた王、現れる様々な幻の中、人々は決して忘れようとしたわけではないのに、思い出せないものを見た。地をうめつくす白い花々、妖精王の贈物、ドワーフの宝、オーロラを羽織る女神、決して忘れようとしたわけではないのに、思い出せなかった古の華やかな時代が現れ、消えてゆく。

 突然、冷たい風が吹き込んた。闇が訪れ、空の星々はその光を失った。一つ、また一つと精霊の明りが消えてゆく。丘の上の老人はよろめいて、横になった。哀しみを、さらにもう一つ通り越した嘆息が周りを満たし、人々は地に伏した。真っ暗だった。周り一面、暗黒の世界だった。

―― 精霊は行ってしまったのだ。もはや僕たちには、かくも僅かな“映し出されるもの”しか、持ちあわせが無かったのだ。

「 ―― リュウノアゴヒゲ! 見てごらん!」

どこかでミサキカモメの叫び声が上った。

―― いまさら、いったい何を見ろというのだ。僕は急速に虚脱感に襲われてうなだれた頭を、それでも、やっとの思いでのろのろと上げ、周りの闇の中を見つめた。

「 ―― 丘、丘の方だね !?」 リュウノアゴヒゲの声がした。

「そうよ!」 と、ミサキカモメが答えた。

 老人が横たわっていた周りの丘の方を見つめ、目をこらすと、 ―― 暗黒の中に、信じられないことだが、さらに暗黒を思わせる二つの点があった。いや、違う、それは暗黒の中の暗黒なのではない。 ―― 暗黒の中で輝やく、黒い輝やきなのだった。言葉で表現はできないが、その二つの点は、全き暗黒の中でこそ、初めて輝やく“黒い輝やき”だった。それらは目であり、瞳だった。その二つの点を中心に、ちょうどクジャクがゆっくりと羽を広げていくかの様に、チカチカと光る精霊の光が蘇ってゆく。

「じいさん」僕はなぜか丘の上の、あの奇妙な老人のことを思った。

「 ―― あんたは蒔き人だったんだね。より小さく、そして、より大きくあれかしと、あんたは種を蒔く……。魔法は、より小さく、より大きく、と」

 錆びた刃でゆっくりと胸を裂かれていくような痛みが、僕の身体を奇妙で滑稽、 ―― そう、滑稽な有様に歪ませた。思い出した ―― 僕が助けられなかった患者、重度の夢遊病、強度の衰弱、僕は患者を救うことができなかった。

「私は、これから見る夢の卵を捨ててしまったので、それを捜してさまよわねばならないのです」

そう患者は言った。

「 ―― それは、きっと青紫色のカケラで、どうしても見つからないのです」

患者の言葉は、僕には、たわごととしか思えなかった。ただやせ細っていったその人を助けられなかった理由を、僕は自分が“呪医”ではないせいにした。しかし、それは間違いだった。いつでも助けられたのだ。ひどく簡単で、 ―― だが、当時の僕にはどうしてもできなかったことだった。

 今になって、やっと僕はあの夢遊病患者の夢の卵、その青紫のカケラを手にすることができた。いや、手にしていることに気が付いた。そして、その色は、昔、自分がうんと子どもだった頃に心惹かれた自分の夢のカケラと、そっくりだった。

―― ホシホタル ―― そう、この自分の名前は、誰に教えられることもなく、いつの間にか心の奥底で知っていたはずの名前だった。ホシホタルは、夜、ひそやかに天から舞い降りて、夜見る人々の夢を、青紫に灯すのだ。強く弱く、明るく暗く、ホシホタルは誰かの夢を自分の放つ青紫の光とともに映しだす。そして、その光ある故に、ホシホタルは、ホシホタルなのだ。

「僕がホシホタルであるために、ホシホタルがホシホタルであるために……」

胸を押さえたまま、僕はふらふらと丘の上へと歩いて行った。 ―― 僕はホシホタルでいたかった。他の何ものでもなく、今宵、僕はホシホタルでいたかった。

 気がつくと、丘の上で、僕の体には無数の光 ―― 精霊の灯火 ―― が宿っていた。 ―― これが君の夢、君たちの夢、今宵の僕らの、とどめおくべき ―― 闇の中の光。チカチカと移ろいながら、様々に変貌しながら、しかし、これは確かに、一つの、そして無数の、夢。

 精霊の明りがふたたび満ち、天には星々が瞬いた。精霊の灯火が乱舞し、そして ―― 夜の闇、その暗黒がそれを際立たせた。もはや暗黒は敵ではなかった。それは大きな模様を織り成す、一本の糸にすぎなかった。いかなる思いも、ここではただ“映し出されるもの”として全て平等だった。ほんのひととき、ここには王国があった。決して忘れようとしたわけではなかったのに忘れられていた王国、その織り成す大旒の旗印として、僕たちは精霊の灯火とともに揺れ動いていた。

 夜明け近く、人々が何のわずらいもなく家に寝静まった頃、僕は丘の上に横たわる老人の許にいた。

「やっと、あなたに会おうと思って、会えましたね」

僕はそっと告げた。

「 ―― 長い夢を見とった」

老人は横たわったまま静かにつぶやいた。

「思慮深き聖王のエスティリオ、心優しい妖精王のリミン、力強き統一王であったイルク・セイリオン、自分の為の楽しみはとっておかなかった人の子の王、グンド、変転の主の力によって創られながら、自らはそれを拒んだ不死身の魔王……、いや、その名は口にすまい。

―― 精霊想樹の下、イニアの白き花々と風鈴草の音の丘で踊る娘たちの美しかりし様、華麗であったフェリアの家々、聖都ファラノウムの尖塔より身を投げた執政のフィキタス……、人間を助けて岩になってしもうたお人好しのトロル、カイラの町で糸車を廻していた一人ぼっちの老婆、亡霊となって夫と子の帰りを待っていたエンキルの乙女、酒樽の上で酔っぱらって酒樽に落ちて溺れた小人、一族の復讐の為に暗黒の都に行ったまま帰って来なかったドワーフ……。

―― 長い、長い、昔の夢を見とった……」

「 ―― 想医とは、決して蘇生され得ぬものを、しかし、それ故に生かす者だ、と“頂き”のエスティリオが言ったことがある。そして、魔法使いは、その生涯の終りに、唯一度、想医たるべし、とも言った」

老人は微かに笑みを浮かべた。

「わしは今、自分の名前を思い出した。 ―― 決して忘れようとしたわけではなかったが、しかし、今、思い出した。“ホシホタル”、それがわしの名じゃ、 ―― もちろん、ただの偶然じゃが……」

「意味のある偶然……」

だんだんと熱くなった僕の目は、もはや老人の姿を、はっきりととらえられなくなっていた。老人は自分の杖に残った最後の枝 ―― 若葉の生えた枝 ―― を折り、これを僕に差し出して微笑んだ。

「 ―― そうじゃ。故に、わしはおまえにさらばとは言わん。しかし、ごきげんよう! つつがなく行かれよ! 魔法は、より小さく、そして、より大きくあらしめられるものならば……」

老人は目を閉じ、そして二度と開かれることは無かった。

 哀しみの内に僕は老人のくれた小枝を見、驚いた。 ―― 小枝はぐんぐん大きくなり、多くの葉を茂らす、一本の杖になったのだ。

 夜明けが訪れた。 ―― 足下には、もう伏した老人の姿はなかった。消えていた。 ―― 旅に出たのだ、と、僕は思った。 ―― 新しい村へ。

 ひょっとしたら、老人は、新しい村でミサキカモメの母さんを診てやっているかもしれない。ミサキカモメの母さんは、長いこと腰痛を患っていたから ―― 。

 ゆっくりと丘を下りながら、僕は思った。 ―― そのような医者は、なんと呼ぶのだろう……。“想医”の、その、さらに一つ上の位階は。

註1:太陽。もしくは日光のこと。オザンは生命と太陽の神。(本文へ戻る)

註2:ユルセルーム大陸の別名。“かりそめの大地”と呼ぶこともある。(本文へ戻る)

註3:ユルセルーム統一王朝期に定められた様々な階級・身分を定めた書。(本文へ戻る)

註4:“音きき”の中には、自分の能力を増す為に、わざと目をつぶす者が少なくない。(本文へ戻る)

註5:古代神聖語は、“真音”という発音方法で唱えられると、自動的に種々の魔力に直結する。(本文へ戻る)

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