学校による「不登校の理由」調査が当事者から遠すぎる件


息子が通う小学校も「二学期制」というなじみのうすい区切りが過ぎて、後期が始まっています。
相変わらず、息子の登校モチベーションは一進一退を繰り返しており、それによって親であるわたしたちも学校まで付き添いしたり、玄関で見送ったり、時には欠席の連絡をしたりを行ったり来たり。

この道ーはーいつか来たみーちー
あぁぁああーーーーーー
そおおうだよおおーーーーーーー


と、登校付き添いした後の帰り道で口ずさんでいます。
学校に行くってどういうことなんでしょうね、本当に。

不登校の理由は『先生との関係』教職員と子どもの間で回答に16倍の差

当ブログでも何度かご紹介している不登校新聞の記事が、Yahoo!ニュースのトップページに載りました。

転載元の不登校新聞でも、この記事は無料で全体公開されています。

以下、一部引用します。

 教育学者・内田良氏は、平成18年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(以下・問題行動調査/学校・教職員が回答)における中学生の結果と、平成18年度当時中学3年生だった不登校生徒を対象にした「追跡調査」(不登校した本人が回答)の結果のうち、「不登校の理由」を比較検討した。検討の結果、親・友人・教職員との関係は、両調査の共通項目であるなどの理由から比較が可能と判断。教職員と本人の回答が16倍も開いた「教職員との関係」については、「生徒本人は教職員との関係に『原因あり』と感じていても、教職員はそのことを自覚していないと言える」と分析した。

続けて、編集者である小熊広宣(@kogumahironobu)さんのツイートより、

学校に行けない理由なんて特定できるの?

当事者である子どもが渦中にいる間に、もしも本人に「不登校の理由は?」と聞いても、そうスラスラ答えられるものではありません。

学校にいると息苦しかったから、
それを大人に相談しようもなかったから、
何をしても無意味だと「無気力」にただやり過ごしていて、
体が不調を起こして長期欠席になった場合。

担任が本人にコンタクトせずに答える調査に、何の項目がチェックされていたのでしょうか。

30年前に『登校拒否』児童になったわたしは、そもそも幼稚園から小学校入学して以降も、ずっとあの同年代の集団が苦手でした。

学校の前まで行って逃げ帰ってきたり、担任の先生に引っ張られて行ったりしたこともあります。

行けば行ったで、少ないけれど友人はいたし、成績も上位の方でした。
小2で引っ越しとともに転校し、その後いじめられた時期もあったけれど、そこまで長期化しませんでした。

それでも、ついに体がついていかなくなり、神経症のようになってやっと休めたのが小5の3学期。

その頃に自分が特別にいじめを受けていたわけでも、先生が横暴だったわけでもありません。

ただ、ひたすら息苦しかった。

でも、それくらいのことは誰にでもあったでしょうから、なぜわたしがその町で最初の不登校児童になったのかは今だって、当人だって納得のいく説明がつかないのです。

弘前でも親のつながりがはじまっています

全国の不登校を考える親の会一覧 | NPO法人 登校拒否・不登校を考える全国ネットワークには、青森県の親の会は載っていません。
東北は山形県と福島県だけ。

「青森 フリースクール」で検索しても、青森県内に所在地があるところが見つかりません。

「弘前 不登校」で検索すると、市役所のページが出てきます。

城東にある総合学習センターの中に、フレンドシップルームという名称で不登校の子が通うスペースがあるそうです。

弘前に移住してきてから一度調べて、子どもが小学校に上がる前にもまた調べたのですが、ネットではそれだけでした。

でも、つい最近ですが、親たちの悩みを共有したりできる集まりができてきている。

(引きこもりの親の会は以前よりあるそうです)

わたしも友人からの紹介で、元当事者として、そして揺れる一年生の母として、2時間ほど参加させてもらいました。

何かを指導したり、対応したり、解決したりするためではなく、
まずは一人じゃないことが安心できる場で、悩みを吐き出して、お互いに受け止める。

そこから得られることは、上から降りてくるどんな対応策よりも大きい。

いつかは、学校に通うことが困難な子どもが、孤立せずにいられる場ができればいいなと思っています。

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 それまでの不登校の議論では、学校を休む意味ばかりを考えていたんです。学校を休むからには原因がある。それを親子関係に求めるにしても、学校の管理教育や戦後民主教育に求めるにしても、いずれにしても原因があるから不登校があると考えていたわけです。しかし、そうではなくて、そもそも、なぜ子どもが学校へ行くのか。

 給料も出ないのに、毎日、学校へ行くというのは、けっこう大変なことです。何か理由や動機があるはずです。不登校というのは、学校へ行く理由や動機づけが失われてしまう、見えなくなってしまうことから起こってくる現象ではないかと、見方が変わってきたんですね。
#06 滝川一廣さん: 不登校50年証言プロジェクトより引用

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