ケンドー・カシン&船木誠勝のタッグマッチ!全日本プロレス弘前チャリティー大会がプロレスファン騒然のカードな理由

もうね、このカードが発表になってから、全日本プロレス弘前大会が気になって仕方がないわけですよ。

弘前大会記念スペシャルタッグマッチ 45分1本勝負
諏訪魔、佐藤光留 vs 船木誠勝、ケンドー・カシン

なんですか? このあり得ないカード?!
あれですか、弘前出身と常盤村出身の津軽組だからこその実現なんですか??

なぜ、わたしが興奮しているのか、じっくりと語りましょう。

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船木誠勝選手と言えば、弘前出身です

船木誠勝選手の経歴をWikipediaより引用しましょう。

船木 誠勝(ふなき まさかつ、1969年3月13日 - )は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家、俳優。本名・旧リングネーム:船木 優治(ふなき まさはる)。

経歴
新日本、UWF、藤原組
1984年3月、弘前大学教育学部附属中学校を卒業し、高校入学の前日に一度不合格であった新日本プロレスに入団。同期は武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋、野上彰(現AKIRA)。
 (中略)
1989年、前田日明、藤原喜明の誘いに応じヨーロッパ遠征中に第2次UWFに入団。
 (中略)
1990年12月、UWFを離脱して、鈴木みのるらとプロフェッショナルレスリング藤原組の旗揚げに参加。
 (中略)
1992年12月、格闘技的な路線を志向し、藤原組を離脱。藤原組離脱後は、どの団体にも所属せず、鈴木みのる、高橋義生らとともに練習を重ねた。
 (中略)
1993年9月21日、パンクラスを旗揚げ。船木はケン・シャムロックと対戦し、肩固めで一本負け。
 (中略)
2000年5月26日、「コロシアム2000」でヒクソン・グレイシーと対戦し、パンチによりヒクソンの左眼窩底を骨折させるも、チョークスリーパーで失神負け。試合後に「格闘技は勝負は1回だけなので、失神したら終わりですから。潔く足を洗う決心をしました」と引退を表明

船木誠勝 - Wikipediaより

わたしがリアルタイムで観ていたのはこのへんまでですね。

引退後はテレビや映画で俳優として出演したりしている姿を見かけています。

とにかく、己のスタイルを追求して、ハイブリッドレスリングという概念を作り上げ、旗揚げしたパンクラスはパッケージデザインやコンセプトが際立っており、プロレス界を超えて世間に拡がりました。

この後、2007年に総合格闘技で復帰、2009年に全日本プロレスに参戦して、プロレスラーとしても復帰しています。

プロレスをしている船木選手の姿は見ていないので、どんなムーブをしているのか気になります!

ケンドー・カシン(の中の人)石沢常光は旧常盤村出身です

プロレスファンならみんな知ってるので、秘密でもなんでもない話しです。
ケンドー・カシンの、Wikipediaをご覧ください。

石澤 常光(いしざわ ときみつ、1968年8月5日)は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家。
新日本プロレスでプロレスデビュー後、海外遠征を経てケンドー・カシンとして覆面レスラーに転向。2000年以降は本名、素顔で総合格闘技にも参戦した。リング内外での奇想天外なパフォーマンスとは裏腹に、レスリングに裏打ちされた確かな技術とウィットに富んだ言動で多くのプロレスファンから注目を集め、「問題児」のニックネームを持つ。

来歴
プロレスデビュー以前 - 若手時代
青森県南津軽郡常盤村(2005年3月の市町村合併により現在は藤崎町)出身。父は合併時まで同村の村長を務めた石澤善成で、4人兄弟の三男。レスリングの強豪校である光星学院高校を経て、早稲田大学人間科学部卒業。

レスリングで全日本学生選手権3連覇、全日本選手権優勝を果たし、新日本プロレスのアマチュアレスリング部門、闘魂クラブ(後に廃止)に入団する。

石澤常光 - Wikipediaより

常盤村(現・藤崎町)村長の息子で、レスリングのエリート。

新日本プロレスの若手が競い合うヤングライオン杯でも、そのアマレスの技術から来る関節技が冴え渡り、決勝で永田選手を下して優勝しました。

しかし、その前にわたしのハートを持って行かれたのが、高田延彦率いるUWFインターナショナルと新日本プロレスの団体対抗戦、1995年10月9日の東京ドーム中継でした。

この時のオープニングマッチで、永田選手と組んだ石沢選手は、Uインターの金原・桜庭組を三角絞めで破ります。
その後、食いかかるUインターの選手に対して、手の甲をひるがえして
「シッシッ」
というポーズをしてたんですよ、ナチュラルに。
なんというエリートっぷり。この見下した態度!
しびれましたね。別に新日ファンじゃなかったけど、石沢ファンになりました。

その後、ヤングライオン杯優勝の報償でドイツに渡り海外武者修行をしに行った……と思ったら、マスクマンになってました。

マスクマンと言えば、日本ではタイガーマスク、獣神サンダーライガー、海外ならミル・マスカラスなど、華やかな空中殺法のイメージです。
あの、レスリングスタイルの石沢がなぜ?!

しかも、帰ってきてからもケンドー・カシンとして新日本プロレスのジュニアヘビー級に上がり続けました。
やはり関節技主体のスタイルで。
ああ、この動画なんかわかりやすいですね。ひたすら腕ひしぎ逆十字固めばかりですが。


そして、カシンと言えば、予想の斜め上を行くコメントの数々。

他団体のジュニアヘビー級選手も参加したベスト・オブ・ザ・スーパージュニアでは、「優勝したらコソボに寄付する」と言い、本当に優勝してしまった後は、テレビ朝日のアナウンサーに「お前これ、換金して寄付しとけ、ネコババするなよ!」と小切手型のパネルを投げつけたりとか。

あの大会のカシンが素敵すぎて、当時の週刊プロレスはまだとってありました。
引っ越しの時にほとんどプロレス誌は処分したと思っていたのに。


週刊プロレス増刊号

週刊プロレス増刊号


その後、PRIDEなど総合格闘技興行に石沢常光として上がったり、新日本プロレスを退団して武藤選手に付いて(?)全日本プロレスに入団し、しばらくしてから解雇されたりなんだり、色々ありました。

わたしもすっかりプロレスから離れて、時折「カシンは今どこにいるんだろう?」と話題にするくらいでしたが、どうやら青森県の故郷に帰っていたようですね。

NHK朝ドラ「マッサン」のエンディングに出ていただと!?

なんだかもう、すごいとしか。

今年の夏には青森市で開かれたロックフェスタ「夏の魔物」にも出場していたそうで…。

普段は農業をしつつ、青森県近辺のプロレス興行には参戦するという形なのでしょうか。

カシン選手も船木選手も間違いなく変わり者なので、この津軽人タッグがどうなるのか気になって気になってそわそわします。

1日の興行なので、わたしの仕事は繁忙期突入なのですが、日曜だし子どもも休みだから仕事にならないし、前もって段取りやっておけばいいよね!?

メインは秋山準vs曙の三冠戦ですぞ

1つの試合ばかりを熱く語ってしまいましたが、世間的には元横綱の曙選手が弘前でヘビー級の至宝・三冠戦のタイトルマッチを行うという方がメインです。

わたしは90年代の全日本プロレスからプロレスファンになったので、三冠ヘビー級と言えば鶴田、ハンセン、三沢・川田・小橋・田上の全日四天王に秋山選手も加わった5人で激闘を繰り広げていた時代を思い出すベルトです。

あの時代への思い入れが強いので、馬場さんが亡くなり、三沢選手たちが離脱して行った後の全日本プロレスをほとんど観ていません。

だから、今回の弘前チャリティー大会が告知された時も、
(うーん、今の全日本プロレスは知らないしなぁ)
(うーん、曙かぁ)
と思っていたのです。

それが、秋山選手との一騎打ちの三冠戦でちょっとグラッときて、
さらにこのカシン参戦でガツンときて、
船木選手とのタッグになるという知らせにドガーン!となっています。

なんだか、10月11日にはローカルFMアップルウェーブにカシン選手が出演して、藤田和之選手の来弘を取り付けたとか。聞きたかった!

そんなヤバい全日本プロレス弘前大会です。

夫は仕事だそうなので、息子といっしょに行ってこようか、それとも1人で心ゆくまで見てこようか迷い中です。

関連リンク>全日本プロレス チャリティー弘前大会 | 全日本プロレス公式サイト

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