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子どもの進路が決まらなくても、いつまで待てるか考えた


先日、'90年代後半生まれの学生さんたちといっしょに、るってぃさんの話しを聞きながら考えていたこと。

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まったくもって安定しない中をどうにか生きて子育てしている'70年代生まれオカンの実感。


学生だけじゃなく、若者はみんな試行錯誤していい


この日集まっていた人はほとんど大学生か大学卒業しているわけだけど…

大学生は遊んだり、バイトしたり、自分探ししたり、世界一周したり、起業したりして、
でも、最終的には髪を黒くして、スーツ着て、エントリーシート書いて就活するんでしょ?

って、そうじゃない。

そんな
「数年間自由にさせてやるから、ちゃんと社会の歯車になりなさいよ」
ってことじゃないですよね。

自分が何を選ぶのか、
何をしたいのか、
何をできるのかを真剣に考えたり、
行動したり、
修正したりする時期。

それは、大学生に限りません。

技術を身につけるための学校に行こうが、
中学・高校を出てすぐに働こうが、
あるいは、仕事にも学校にもまだ行きたい場所が無かったとしても。

誰でも立ち止まったり、道を選びなおしたりする時間は手にしてほしい。

いったん働いてから、やっぱり学びたいことがあるからと大学に行ってもいいじゃない。

大学は学問をしに行くところで、安定した就職をするためでも、モラトリアム期間を得るためでもないですよね、そもそもは。

親になってどれだけ子どもに与えられるか問われている

「低学歴の世界」を言葉で説明するのは難しいけれど、例えてみれば…

映画化もされたコミック「ちはやふる」の中で、優等生の高校生男子・太一に、カルタの名人がこう話す場面があります。

「君は 君も
持ってるものを 無視しすぎだ
大阪までなにも言わずに来る
そのお金を自由に使わせてくれてるのはだれだ
緊張せず新幹線に乗れる男に育ててくれたのはだれだ
高校生の君に」
引用:ちはやふる(31) (BE LOVE KC)より

情報を得たり、考えたり、周りの友達とそれについて話したり、行動したり。

それはもちろん本人の決断や努力が必要なのだけど、ベースができていないと思いつく機会もありません。

「どうせこんなもん」と諦めている中からは行動もできません。

わたしは小学生から不登校をして、学歴は中卒だけれど、大人になってから周りにそう思われないのは、行動したり学んだりする時間をくれていた親がいたからだと、親になった今になって感じています。

子どもの頃は、よく1人で大きくなったような顔をしていましたけどね!

親に対して返すことはできないかもしれないけれど、自分の子どもに対して返してやりたいものです。

規定ルートはもうない世代だから

自分の親世代と違うのは、もう終身雇用も、年功序列で上がり続ける給与も、賞与・退職金も当たり前ではない時代。

60歳の定年退職までにマイホームローン完済して、年金もらいながら細々と暮らしていきましょうってライフプランは描けません。

たぶん、動けなくなるまで働くでしょうし、だからこそ労働=忍耐にはしたくない。

子どもが22歳になる頃、夫は60歳になります。

でも、まだそこで現役引退はできません。

2人の親に対して、1人の子ども。

おぶさるには重荷になります。

自分の老後のことは自分でめんどうみるようにするから、22歳までには自分で生活していけるように、どんなルートを通っても歩いて行って欲しいなぁ。

せっかく生まれてきたのだから、
生まれてきてよかった、
生きててよかった、
そう思える瞬間を一生のうちにたくさん味わってほしい。

そんな風に願っています。

まぁ、だからといって、子どもに自分の人生をすべてささげる気はさらさらなくて、わたしはわたしで楽しく生きていく気まんまんなんですけどね!

息子も負けんな!

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