選択されているタグ : 起業 , 事務代行

タグの絞り込み

あの混乱の夏から1年、わたしが開業した理由をお話しします

ねぷた祭りが目前に迫り、青森県もようやく梅雨明け宣言が出て、ますます蒸し暑いこの時期。

1年前の今頃、わけもわからないまま駆け回っていたことを思い出しながら、月末月初の仕事のヤマ場を迎えています。

「さいとうサポート」の開業届けを出したのは、2014年11月11日のこと。
そこに至る流れは、この7月から始まりました。

女40歳で、子どもはまだ未就学児で、弘前に移住して2年、取り立てて食える資格も無く、学歴は中卒な自分が、なぜフリーランスの個人事業主という形に踏み切ったのか。

ちょうど1年になるので、そろそろ語っておきます。開業に至った経緯を。

(あ、またも長いです。すいません)

-スポンサー広告-

1年3ヵ月パート勤務していた会社を昨年春に退職

弘前に移住してきて引っ越しの荷物も落ち着いた頃、ハローワーク紹介の求人セット型職業訓練を経て、訪問マッサージの会社に就職しました。

マッサージをするのは、あん摩マッサージ師の国家資格を持った先生方です。
わたしがしていたのは、保険申請のためのデータ入力や、書類の取り扱い、電話対応などの一般事務と、マッサージ師の先生を乗せて患者様の元へ運ぶ運転手でした。

数ヶ月勤めると、弘前支店を独立させる為の準備として、1人で弘前事務所に通うことになり、営業管理部分も担当し、数字のシミュレーションなども作り、外部との交渉もありました。

わたしが入社した時は、創業して2年目の会社でした。
従業員が最大時9人ほどでしたが、毎月のように誰かが辞めていき、誰かが入ってきていました。
特に、わたしが辞める時までは、6ヵ月連続で離職者が出ていましたね。
入社して1年3ヵ月で、マッサージ師以外では最長の勤務期間になっていました。

あまりにも消耗することがあり、これ以上ここで働き続けていてはいけないと思い、退職しました。

先に独立していたA氏から声をかけられる

40歳目前にして、また職探しか……と、暗い気持ちもありましたが、1年前に同じ会社を退職していた男性A氏から声をかけられました。
過去に業務委託として関わっていたマッサージ師の先生方と、新しい訪問マッサージ治療院を始めるとのこと。
A氏はパソコンがそれほど得意ではないので手伝って欲しいと言われ、事務作業の一部を請け負うことになりました。

月4日間ぐらいパソコンに向かうことで、だいたい2~3万くらいの収入にはなります。
在宅ワークでできるので、これを副業としてパート先を探し始めました。

なにしろ、青森県の最低賃金はまだ600円台。
パートで週5日・月22日間働いても、7万円台の収入というあたりです。
弘前に来てからは車2台の暮らしになったこともあり、もっと収入が必要でした。

再就職先探しの前に幅をひろげる

訪問マッサージは医療保険を扱っていたので、医療事務の一部とも言える仕事です。
一般的な医療事務の資格を得て、どこかの病院でパート勤務をするつもりでした。
職業訓練の申し込みをして、その合否がわかる前には、手づくりのドール服を販売する「キセカエヤ」としてサンサーラ2014に出店したりもしました。

Samsara2014のご報告。 - キセカエヤ

そのサンサーラでつながった作家さんたちが青森市の「カッチャート☆パーティ」に出店すると聞き、子連れでアピオに遊びに行ったりしました。
その時に、アピオ男女共同参画センターで開催されていたセミナー「夢をカタチに 起業で輝くワタシになる!」(講師:吉枝ゆき子さん)を息子とともに親子室で聴きました。

関連リンク>青森県男女共同参画センター 講座・イベント情報

その時は、まだ起業なんて考えていませんでしたが、後のきっかけになりましたね。

A氏からの連絡途絶える

そして、7月の上旬のこと。

突然、A氏からの連絡が途絶えました。

月初の一番忙しい時期、6月分の保険申請書、請求書等をわたしが作り、それをメールでA氏に納品した後のことです。

まだ、訪問マッサージ治療院管理の仕事だけでは生活できなかったA氏は、建築現場などのアルバイトとかけもちをしていました。
県外へ出稼ぎに行くと言って出ていったきり、約束の時期になっても戻りません。
電話も通じません。
メールも返信が無い。

7月からは新しいマッサージ師の先生が加入したばかりです。
前職で知り合っている先生だったので、わたしから連絡を取り、仕事を始めるにあたって必要な書類などを渡してきました。

そして帰ってくると、PCに1通のメールが届いていました。
A氏のアドレスからでした。

「いきなりの連絡すみません。Aの彼女ですが、至急連絡お願いします。TEL xxx-xxxx-xxxx」

丸投げされた仕事

すぐにA氏の彼女に連絡を取りました。
同居している彼女がいるのは知っていましたが、話すのも会うのも初めてです。

「すみません、Aが出先で急に病気で入院してしまって…斎藤さんに後の仕事をお願いしたいんです」

「え? それって○○市でってこと? まだこっちに帰ってないってこと?」

「はい。わたしも家族からの連絡だけで、直接本人と話せてなくて…詳しくはわからないのですが…」

「えぇええぇぇ!?」

「今月中には戻って来る予定なので、それまでお願いします」

選択肢は2つありました。

  1. 言われた通り、できる限りのことをする
  2. 仕事はA氏としかつながっていなかったので、断って関係を絶つ

結局、わたしは1を選びました。
できる限りのことをして、マッサージ師の先生方と連絡を取り状況を説明して、作った書類を渡して回りました。
みんな知っている先生でしたし、個人的に交流がある方もいましたしね。知らんぷりはできませんでした。

戻らないA氏、引き継がれない仕事

7月も終わりに近づきましたが、A氏は戻りませんでした。
わたしは伝言役の彼女と連絡を取りつつ、まず知っている範囲の仕事をしました。
それでもA氏は戻りません。

この仕事は、ほとんどの収入が医療保険から入る療養費なので、A氏が担当していた保険申請書の提出が滞ると、まったくお金が入ってこなくなるのです。
当然、マッサージ師の先生方にもお金が払えなくなります。

わたしは、保険申請書の作り方はわかっていましたが、窓口のどこにどのように、何を付けて提出したらいいのかがわかっていませんでした。
後期高齢医療保険、国民健康保険など、役所の窓口で事情を話して手続きを教わりながら6月分の申請をしました。

医療事務の職業訓練受講申し込みは落選でした。
たぶん、前職も職業訓練を通じての就職をして、1年ちょっとで辞めてしまったからでしょう。
どちらにしても、弘前市だけではなく、青森市まで行って県庁や市役所を訪ねたり、近隣市街を回って、担当者の方に挨拶をしたり書類のことを教わったりしていましたので、職業訓練どころではなかったのですが。

そうして一息ついた頃、彼女からの伝言。
「まだ、出てこられないそうで、3ヵ月ぐらいかかりそうです」

そして、A氏の自筆による手紙が家族から預かっているとのことでした。

7月から始まっていた先生の患者様で1人、今までと違う保険者の方がいて、その手続きについてはどうしても確認しておきたい。
A氏の自宅で彼女と会い、その手紙を受け取りました。

手紙と書類を見たら、引き継ぎの手がかりがあるのではないか…。


A氏からの手紙(イメージ図)

A氏からの手紙(イメージ図)


「斎藤さんには僕がやっていた仕事を全部お願いします。
特に、(7月加入の)××先生のフォローをよろしくお願いします」

受け取ったわたしの心境がこちらです。



いや、涙ぐんでいる彼女の手前、叩きつけませんでしたけどね。

そんなわけで、あれよあれよという間にわたしはA氏の代役になったのでした。

A氏はなぜ消えたのか?

その頃になると、彼女とのやりとりからも、A氏が急病で入院しているという話しは疑わしくなっていました。

病気入院なのか、借金からの逃亡なのか、駆け落ちなのか、実家に引き戻されて外出禁止になっているのか?

とにかく、3ヵ月も戻って来ないのでは仕事が進まないので、彼が管理していた治療院の通帳、書類など一式を預かってきました。

そして、色々と調べていて、事情がわかってしまいました。
どうやら、A氏はある犯罪グループに関わり、現行犯逮捕されていたようなのです。
どこまで意識的に関わっていたのかはわかりません。
でも、30歳になる大の大人が、まったく無意識で利用されていただけとは思えません。

さらに、治療院の通帳の入出金を精査していくと、A氏が20万以上のお金を持ち出した状態にあることがわかりました。
マッサージ師の先生方とも話し合い、彼は契約解除ということになりました。

最後にA氏が本来受け取るべき分配金も払えなくなりました。
それでも、持ち出された金額の方が大きいのです。
それを、彼女に電話で伝えましたが、
「そうですか、じゃあいいです」
とそっけなく切られました。
これまでにけっこう長時間話し合って、わたしのこれまでのことも話して、気持ちは分かり合っていたつもりでしたが、とんだ甘ちゃんだったようです。

斎藤、開業届けを提出して個人事業主になる

こうした流れの中で、弘前市の土手町にある「ひろさきビジネス支援センター」に相談しに行きました。

ひろさきビジネス支援センター|青森県中小企業団体中央会

ここは起業を考える人、起業して間もない人が無料相談できる窓口があります。
先だってアピオで聴講した起業のシンポジウムで、パネリストとして登壇していた石川悟インキュベーションマネージャーが、ここに月2回来ているという話しを思い出したのです。

前日に予約して訪ねて行って、これまでの状況をお話しして、どうしたらいいかを相談しました。

この仕事では従業員として雇用されることや、給与をもらうことができないことを話すと、
「では、開業届けを出して、確定申告をする時に経費も計上できるように青色申告にした方がいいですね」
とのアドバイスをいただき、開業届けの書き方を教わりました。

治療院の先方と契約内容の調整をした後に、11月11日に事務代行業のさいとうサポートとして開業届けを提出しました。
翌3月にはどうにか青色申告も済ませることができました。
旧ブログ>はじめての青色申告:色々迷ったけど、終わっちゃいました編: Alternative Note

A氏に持ち出されたお金については、わたしが引き継いだ仕事のうち、営業に出たりする部分はカットすることでいただく割合いを下げて、徐々に穴埋めされていきました。

わたしは治療院の仕事は事務のみに徹して、その他の時間は、訪問パソコンサポートやキセカエヤ、ブログの更新など、自分自身で収入を上げることに使っています。

治療院の事務だけでパートに出る以上はいただけるのですが、この先の契約がどうなるかわかりません。
また、先生方が休んだり、もし辞められたりすれば、収入が無くなって即廃業となるのも嫌です。
メインの仕事の半分くらいは、自分で稼げるようになりたいと思い、色々なことに挑戦している開業1年目です。

A氏はどこでどうしているのだろうか

A氏が関わった犯罪は、まったく治療院とは無縁のことです。
保険申請については、わたしがずっと計算して、その通りに請求されていましたので、不正請求などもありません。

A氏がこの仕事を起ち上げるのに、どれだけエネルギーを使っていたのかはわかっています。
お金や時間にルーズなところはありましたが、基本的には度胸もあって道を切り開いていける若者でした。
だから、なぜ、そんなことに関わって、せっかく作ってきた仕事を投げ出し、人の信頼を失うことになってしまったのか。
もう、戻って来られてもいっしょに仕事はできませんが、どうしてそんなことに?というのは、関わっている誰もが口にしています。

どこでどうしているのかはわからないけれど、ちゃんと生き続けていって、いつか仕事ができて落ち着いたなら、連絡くらいしてこないかな、と思っています。
結局、一連の失踪騒動の中でA氏からの直接の連絡はもらっていません。

棚からぼた餅か火中の栗か?

今のようにほとんど在宅のPC仕事で月10万はコンスタントに家計に入れられているという状況は、人から見たら「棚からぼた餅」のようかも知れません。
しかし、当時はこのように「火中の栗」としか見えない状況でした。

今年は売上-経費=年間130万円以内という社会保険の扶養範囲(第三号被保険者)の枠を越える見込みです。
自分で国民年金、健康保険料も税金も納めつつ、残った利益で“ひとり暮らしできる社会人並み”に上げていくことが今の目標です。

まずは、この月末月初とねぷた祭りの時期を乗り越えますよっと。

あ、さいとうサポートの仕事の内容、依頼先はこちらです。>事業内容 | さいとうサポート blog

【追加】公開の場で書けない部分を2000字ほど加筆して有料noteにしました。
さらなる裏話、それを踏まえたわたしの戦略を書いています。
40代主婦、中卒、資格無し、地方移住2年目のわたしがフリーランスの事務代行業になったいきさつ|斎藤美佳子|note


Facebookはこちら